江戸・東京探訪:弥生美術館・竹久夢二美術館
漱石の三四郎の中には東大の弥生門に関して以下のような記述が有る。
あくる日は平生よりも暑い日であった。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町(やよいちょう)の門からはいった。往来は埃(ほこり)が二寸も積もっていて、その上に下駄(げた)の歯や、靴(くつ)の底や、草鞋(わらじ)の裏がきれいにできあがってる。車の輪と自転車のあとは幾筋だかわからない。むっとするほどたまらない道だったが、構内へはいるとさすがに木の多いだけに気分がせいせいした。
三四郎 二 より
熊本の母から届いた手紙に書いてあった、「勝田の政さんの従弟」にあたる「野々宮宗八」を三四郎が訪ねる場面である。
上に有る、「理科大」は、現在の理学部、「高等学校」は第一高等学校のことで、後に世田谷区駒場に移り、今は農学部のキャンパスになっている。
三四郎と同じ、熊本出身の田舎者で東京が嫌いな私は、しかし東大の弥生門の中には入らずに、代わりに門の前に有る「弥生美術館・竹久夢二美術館」に入った。
「弥生美術館」は、昭和59年(1984)、「竹久夢二美術館」は、平成2年(1990)開館で、それぞれ弁護士兼理事長・鹿野琢見の高畠華宵コレクションと竹久夢二コレクションを展示公開している所謂私設美術館だ。二つの美術館は、それぞれ1階と2階部分の渡り廊下で繋がっている。
すぐ近くに立原道造記念館も有るのだが、私は3館共通券を買って鑑賞する事にした。
夢二の有名な作品、「黒船屋」は伊香保記念館の方に有る様だが、「竹久夢二美術館」にも日本画・油彩・書・原画・スケッチ・版画・デザイン・著作本・装幀本・雑誌、また書簡をはじめ夢二の遺品や資料など約3,000点を所蔵しているようだ。
竹久夢二については、嫌いな画家ではないのだが、かといって特に好きと言うほどの画家でもない。
最近こう言う絵画鑑賞には本当に根性が無い私は、絵の前を通り過ぎて、つらつらと鑑賞してしまったのだが、夢二の絵、特に掛け軸になっているものや屏風になっている大作は、流石にインパクトが大きい。
特に黒の使い方が印象的で、伸びやかで奔放な筆遣いながら、画面を効果的に引き締めている。
「黒船屋」も、掛け軸として仕立てられた物の様だが、他の軸や屏風に仕立てられた夢二の絵を見て、「よく夢二の複製を額に入れているものが有るが、あれは例えばロココ風の家具を和洋折衷の住宅に据えるような愚だな」という感想を持った。
やはり複製であろうとも、当時、掛け軸として仕立てられたものは掛け軸にして鑑賞するのが一番いいんじゃないかな?
夢二は、「愛と放浪の画家」とか「漂泊の画家」と評される様に、その女性遍歴と放浪癖で有名な画家だが、館内には夢二と係わり合いが深かった女性達(岸他万喜・笠井彦乃・佐々木お葉など)の解説があった。
代表作「黒船屋」は、お葉をモデルにして描かれた作品であるが、作品中の女性は実は後に結核で早世した笠井彦乃の面影を追って描かれた作品で、作品中の黒猫は夢二自身だと言われている。
夢二は彦乃を「しの」と呼んでいたようだが、「しの」こと「笠井彦乃」は、享年25歳で肺結核で亡くなっている。
夢二は裏に「ゆめ35、しの25」と刻まれたプラチナの指輪を終生はずす事が無かった様だ。
竹久夢二美術館が建つ東京・本郷は、夢二が滞在した菊富士ホテルがかつてあり、また最愛の女性、笠井彦乃と逢瀬を重ねた場所で、今なお昔の風情を留めて静けさと木々の緑に包まれている。
「江戸・東京探訪」カテゴリの記事
- 浮世絵木版画作品展&せともの市(2008.08.06)
- 上野界隈(2007.11.07)
- 国立博物館特別陳列(2007.10.06)
- 将門の首塚(2007.09.27)
- 江戸の範囲(2007.09.18)


Comments