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October 04, 2009

筑波山

Sumidagawa  最近、図書館でリサイクルブックを貰ってきて読む事が多い。

Asukayama  返さなくても良いので、返却期限を気にする必要が無く気楽だが、読み終えた本もすぐには捨てる気が起きなかったり、あるいは貰ってきたもののずっとそのままになっていたりで、結局本が増える原因になっている。

Masaki  最近貰ってきて読んだリサイクルブックの中に、「平家物語」と「徒然草」が有った。徒然草は古典の学習参考書みたいな感じだったが、どちらも現代語訳で読んだ。2冊とも現代にも通じる教訓に満ちていてとても面白く読み終えた。

Suzaki_2 次男の登山熱が家中に飛び火して、中間テストが終わったら3人で登山入門者向けの山に登ろうという話になっている。

Yanagisima  「高尾山」なんてもってこいだと思っていたのだが、どうやら高尾山は小学校の子供会の行事に夫と次男で参加して、山頂まで登った事が有るとの事。

 「じゃあ、筑波山なんてどうよ?」と言う事になった。

 私の場合、「筑波山」で一番に思い浮かべるのは歌川広重の江戸名所百景。上に貼り付けた名所江戸百景シリーズの背景にはどれも筑波山が描かれている。

 江戸時代は今のように高層ビルが無かったから、東の筑波山、西の富士山って感じで、筑波山も今よりはるかに人気が有ったんじゃないかな?

 登山のルートでも載っているかと、wikipediaを見ていたら、一寸びっくりするような事が書いてあったので今日はそれを紹介してみる。

 以下はwikipediaからの抜粋

歌垣と『万葉集』
また、筑波山は古来より農閑期の行事として大規模な歌垣が行われ、近隣から多数の男女が集まって歌を交わし、舞い、踊り、乱交を楽しむ習慣があった。これは今年の豊穣を喜び祝い、誰かれなく言い寄り自由に性交をすることで、さらに来る年の豊穣を祈る意味があった。 『万葉集』第9巻の1759番に収められている作の歌には、

鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に
率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ
かがふかがひに
人妻に 吾(あ)も交はらむ わが妻に 人も言問へ
この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ
今日のみは めぐしもな見そ 言(こと)も咎むな
(現代語訳)
鷲の棲む筑波山の裳羽服津の津のほとりに、
男女が誘い合い集まって、舞い踊るこの歌垣(かがい)では、
人妻に私は性交するぞ。我が妻に、人も言い寄ってこい。
この山の神が昔から許していることなのだ。
今日だけは目串(めぐし、不信の思いで他人を突き刺すように見ること)はよせよ、 咎めるなよ
と、これから行われる歌垣への期待で興奮する気持ちが素直にのびのびと表現されている。

 筑波山の2つのピークは、それぞれ女体山、男体山と呼ばれているようだが、まさか万葉の昔にこんな風習が有ったとはびっくり仰天である。(笑)

大きな地図で見る

 万葉集が編まれたのは7世紀後半から8世後半らしいから、飛鳥時代~奈良時代だろうか。この時代の寿命は意外に長く、例えば、生没年が明らかな藤原氏嫡流について言えば55歳~60歳ぐらいだったようだ。高橋虫麻呂の歌を見ると、現代人とは比較にならないぐらいエネルギッシュな人が多かったのではないかという気がしてくる。

 裳羽服津(もはきつ)って、どの辺だろうと思ってネットで調べてみたが、どうやら筑波山南麓の「筑波ふれあいの里(ネーミングが意味深長かも?)」周辺であるらしい。

 次に図書館に行った時に、リサイクルブックで万葉集が出ていたら、勿論貰って来て、じっくり読んでみようと思う。

 いやぁ~、古事記や今昔物語も凄いけど、万葉集も負けてないなぁ~。

 

 

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