ニュース

July 24, 2007

腹が立つニュース

 ネットでニュースを見ていたら、物凄く腹が立つニュースを見つけたので今日はそれを紹介してみる。

 このニュース、その内テレビのワイドショーなどで大々的に放送されそうな感じがするが、そうならなかったら・・、日本も終わりかな?

 ニュースのタイトルは、「福島県立医大不適切写真がHPから流出、患者に扮し下半身」。詳しい内容はこちらに紹介されている。

 当然関係者は何らかの処分を受けると思うのだが、私の価値観ではこういう事件を起こしたら大学は取り潰しでしょう。医療従事者を育てる学校としての資格を備えていないんだから。

 このニュース、図らずも一部の医療従事者と患者の医療に関する思い入れの温度差を露呈する事になった訳だが、患者が医師や看護婦に腹を立てる理由の一つは、こういう宴会で純粋に騒いで楽しめるような馬鹿が、横柄な態度で診察したりあれこれ命令したりするからであり、そのとばっちりが大多数の熱意有る医師や看護師にも回ってくるのである。

 かかりつけのカイロの先生の言葉、「神聖な気持ちで患者を診る事が出来ない人は、患者の体に触ってはいけない」と言うのが妙に思い出された。

 

November 08, 2005

ジェンキンスさんの著書:「告白」の波紋

 夕方NHKのニュースを見ていたら、タイ政府が、タイ人拉致被害者と見られるアノーチャーさんの帰国を北朝鮮に申し入れているというニュースが有った。

 ネットに記事が出ているのではないかと思い探したら、ここに同様の記事が有った。

 先日も紹介したが、CBSの60MIUNTESのサイトに掲載されていた写真の中に、タイ人拉致被害者と思われるアノーチャーさんが写っている写真が有る。NHKのニュースでも同じ写真を紹介していたが、周りの英文がチラッと見えたから、もしかしたらCBSのサイトからとった物かもしれないと思った。

 CBSの記事の簡単な粗筋を書いてみるが、誤訳が有ると思うので、出来れば記事の方を読んで欲しい。

 典型的な、家族のスナップショットに見えるこの写真だが、写真の左側に写っている女性、ジェンキンスさんによるとタイ人拉致被害者だという事だ。

 ジェンキンスさんの言葉が正しいとすれば、日本や韓国以外の拉致被害者の最初の証拠写真と言う事になる。

 写真の女性、アノーチャー・パンチョイ(Anocha Panjoy)さんと言うタイ人女性で、彼女は、ジェンキンスさんの親友で、やはり元アメリカ兵のラリー・アブシャー(Larry Abshier)さんと結婚していた。

 アノーチャーさんは、バンコクから120マイルほど離れた小さな農村の出身だが、マカオのbathhouseで働いていた20代の時に拉致された。この写真が撮られた1985年は彼女が拉致されてから7年経った頃だ。

 彼女は国に帰してくれと何度も懇願したが、「ここの暮らしの方が前よりいいはずだ、なぜ不平を言うんだ?」と、言われていた。

 夫であるラリー・アブシャーさんが1983年に心臓麻痺で亡くなってからも、アノーチャーさんはジェンキンスさんや曽我さんが住んでいた同じアパートで暮らしていたが、後に引っ越して再婚した。

 アノーチャーさんとラリー・アブシャーさんの間には子供は無かった。写真の中で、アノーチャーさんの側に座っている白人のような容貌の子供は、他のアメリカ人脱走兵と彼の妻の子供だ。

 今日見たNHKのニュース以外の報道も総合すると、アノーチャーさんが北朝鮮にいたという情報が、タイに住む親族や友人らに伝わり、地元では「二十七年前に失踪したアノーチャーに会いたい」と、救出を求める声が出始めたようだ。

 タイの英字新聞「ネイション」がこの様子を大々的に報道した事もあってか、始めは及び腰だったように見えるタイ政府も、ついに重い腰を上げ、ジェンキンスさんから詳細な情報を得る為日本の外務省に協力を要請したらしい。

 タイ政府の、「拉致被害者を帰国させて欲しい」と言う申し入れに対して、北朝鮮側は、「ジェンキンスさんが著書の中で述べている事は全くのでたらめだ。」と言っているようだ。

 一連の報道を見て思った事だが、アノーチャーさんの写真の情報、ジェンキンスさんの手記関連のニュースが英語のメディアで大々的に報道されなければ、アノーチャーさんの親族も、まだ彼女の拉致に気付かなかった可能性が有るし、気付いていたとしても、タイの英字新聞が騒ぎ立てなかったら、政府の動きがもっと遅くなった可能性が有ると言う事だ。

 英語による報道の威力は凄い! 「日本語による報道の何倍もの影響力が有るんだろうな」と、改めて感じた。

 上記のタイの英字新聞「ネイション」の記事、最後にこう締めくくっていた。

Jenkins writes in a memoir of his life in North Korea, released last month in Japan, that he met or saw many people in North Korea he believed were abductees, including the woman from Thailand.

 

 

 

 

 

 

October 27, 2005

ジェンキンスさんへのインタビューその2

 ジェンキンスさんのインタビューを見て、思った事を少し書きたいと思う。

 まず、CBS News 60Minutesで放映された事についてだが、CBSの60Miuntesと言えば、今年3月、ブッシュ大統領の兵役逃れ疑惑をめぐる捏造問題を批判され、やはり CBSのEvening News のアンカーマンを降板したダン・ラザー氏がキャスターを務めていたこともあるニュース番組だ。アメリカで最も人気の有る報道番組の一つに取り上げられた事で、拉致問題に関するアメリカ人の関心が増し、拉致問題解決に向けていい影響が有ると良いと思った。

 先日出版された、ジェンキンスさんの自伝「告白」についてだが、角川書店から出ていたので、「あれ?」と思ったことが有る。昨年12月のTIME誌のインタビュー以降、ジェンキンスさんが自伝の出版についての契約をTIME誌と結んだと言う記事が有ったのだが、あれはどうなったのだろうかと言う疑問がわいたのである。

 今回のインタビューで、その疑問が少し解けた。インタビューによると、どうやらTIME誌東京支局長のJim Frederick氏が自伝の共著者となっているらしい。

 また、ジェンキンスさんが北朝鮮に逃亡した理由の一つに、「この後、ベトナムに送られるのではないか」と言う恐れがあったようなのだが、アメリカ人の脱走兵に対する気持ちを語る上で、ベトナム戦争問題は避けて通れないものなのだと言うことを再確認した。

 私が、英語の先生や、その他知人のアメリカ人&カナダ人数名に確認して、一寸驚いた事が有る。それは、報道の自由については日本より先進的な考えが有る様に見えるアメリカなのだが、例えばベトナム戦争後に枯葉剤の影響で沢山のシャム双生児が生まれた事は誰も知らなかった事だ。

 日本ではベトちゃんドクちゃんの分離手術が話題になったが、アメリカ人や、アメリカのテレビを見ている筈のカナダ人はそれを知らない。

 ベトナム戦争に関する話題、未だに報道してはいけない禁忌が有るのかもしれないと思った。

 

  

ジェンキンスさんへのインタビューその1

 昨日の夕方、次男が学校から帰って来たのでテレビをつけたら、ジェンキンスさんのインタビューを放送していた。先日、独占インタビューを放送したのと同じイブニング・ファイブだった。

 アメリカのテレビニュースでジェンキンスさんのインタビューが放送されたらしいのだが、それを紹介していたようだ。25日にも同じ物が放送されたらしいが、吹き替え音声か字幕が一部入らなかったりして、何か手落ちが有ったらしい。

 息子がピアノの練習を始めたので、ヘッドホンを着けて練習するように言って、インタビューを見た。

 前回のインタビューは日本のテレビ局のインタビューに答えるような形だったようだが、今回のインタビューはアメリカのテレビ局のインタビューだった。前回は、拉致問題等に焦点が当たっていた為、横田めぐみさんとの交流等に言及していたが、今回は、インタビューする側の関心の向かう先が違うから、北朝鮮での生活ぶりの他にも、脱走した理由や、再び軍服を着た時どう思ったか、40年振りに北朝鮮から出られて、何が一番驚いたか?等を主に質問していた。

 詳しい内容を探そうとしたのだが日本語のサイトには多分無いだろうと初めから諦め、英語で検索したら見つかった。

 記事の内容を確認したら、全く同じなので、間違いないと思うのだが、インタビューはどうも、10月22日放送のCBS News, 60MINUTESで放送された物らしい。興味が有る人はここを読んで頂きたい。

 一部、昨年12月のTIME誌のインタービューともダブる部分が有るのだが、日本のテレビ局のインタビューでは話していなかったと思われる部分について一寸触れようと思う。

 インタビューによると、彼が北朝鮮へ逃亡した時に、すでに3人のアメリカ人逃亡兵が捕まっていたようだ。彼らは、金日成氏の教えを、一日8時間、7年間学ばされ、朝鮮語で暗唱する事を強いられたようだ。

 そして、ジェンキンスさんは朝鮮人女性を割り当てられ、月に2回性交渉を持つように命令されていたようである。

 また、下唇から歯が突き出る位ひどく殴られた事、彼の腕に彫ってあった刺青のうち、交差したライフルの模様の下に彫れられていた "U.S. Army" の部分を麻酔無しではさみで切り取られた事。(麻酔は戦場で戦う兵士の為に取って置くのだと言う理由で)など、北朝鮮での酷い経験についても述べていた。

 また、15年間の孤独な生活の後、曽我ひとみさんと出会ったことが、彼に一筋の希望を与えたようである。一目会って、「決して離すまい」と心に決めたようだ。

 寝る前に、ひとみさんは英語で、ジェンキンスさんは日本語で「おやすみ」と言い合っていたようだが、それは彼らが北朝鮮に対して何の義務も無い事の確認であったようだ。

 1965年に北朝鮮に逃亡してから、自由社会に帰り、一番驚いたことは何かと言う質問に対して、彼は、「軍に女性が大勢いる事、黒人の警官がいる事、タバコを吸えないところが沢山有ること。」等を挙げていた。

 これは、アメリカのメディアのインタビューだから、裁判の判決が出る前に、一度軍に復帰した、その時の経験や、ノースカロライナのお母さんの許に帰った時の経験から言っているのだろうと思った。

 40年前といったら、まだ、私が奄美大島に住んでいた頃だ。その頃から時を止めてしまったような北朝鮮での生活と、消費文化を謳歌してきた日本やアメリカ、ずいぶん違うだろうと思った。

 彼は、「私は多分人生で沢山の間違いを犯したが、あれは最悪の間違いだった。」「それは確かだ。」と述べている。

 

 

 

 

October 11, 2005

ジェンキンスさんの手記

 イブニング・ファイブを見ていたら、ジェンキンスさんの単独インタービューの模様が放送されていた。第2弾と有ったから、第一弾は昨日放送されたのかな?

 第一弾のインタビューの内容が知りたくて、ネットで探したが、ニュースの詳細に関しては毎日更新されるようで、検索して出てきたアドレスをクリックしても、その殆どが「ページが見付かりません」の表示に変わっていた。

 その中で、唯一断片的な情報を伝えていたのがここ。 

 ジェンキンスさん、インタビューの中で、「ひとみは私より19歳も年下だし、まだまだ魅力的だ。私は北朝鮮では働いて夫としての勤めを果たしていたが、日本では働いていない。夫としての勤めを果たせない以上、もしひとみが望むなら彼女のもとを去るつもりだ。」と言うようなコメントをしていた。

 この発言を聞き、「ジェンキンスさん、北朝鮮での生活が長かったとはいえ、やっぱりアメリカ人だな。」と言う感想を持った。

 イブニング・ファイブでも紹介されていたが、ジェンキンスさん10月7日に「告白」と言う本を出したようである。

 上の角川書店のページにこの本の詳細の紹介として次のような文が有ったのだが・・。

「韓国駐留の米軍兵だった彼が北朝鮮へ渡った理由、曽我ひとみさんとの運命の出会い、拉致の実態と他の被害者の消息、等々…。沈黙を破り、すべてを明らかにするノンフィクション。」

 ジェンキンスさんが北朝鮮に渡った理由や曽我ひとみさんとの出会い、日本のメディアでは未だ報道されていないのかな?と思った。

 と言うのも、2004年12月6日の、"The long mistake"と言う題のTIMEの特集記事に、ジェンキンスさんが北朝鮮へ渡った理由や、かの地での生活の模様、曽我さんとの出会いなどが、結構詳しく書かれていたからだ。

 勿論、今回出版された手記、角川書店の出版だから日本人拉致被害者の情報等も含まれていると思うが、TIMEの記事の方は、購読者層が全然違うと思うので切り口も異なったものになっているのだろう。

 記事の中から、最も印象に残った最後の文を紹介してみる。

"I made a big mistake of my life, but getting my daughters out of there, that was one right thing I did."

 全文に興味が有る人は是非 ここ を一読して欲しい。

 内容と、日付を確認して欲しいのだが、2004年にTIMEの記事で取り上げられた事が、日本のメディアでは取り上げられていないように思うのだが、私の見落としだろうか?

 それぞれの国の国情や国民性が異なるので、同じ内容のニュースでも英語版と日本語版とでは記事の構成や表現が微妙に違うことが多い。

 私は、翻訳ソフトの性能に関しては懐疑的なので、英語の記事を詳しく読みたいときには、カーソルを合わせるだけで単語の意味を調べてくれるテクノクラフトの「ロボワード」やアルクのWeb辞書「英辞郎」を使っている。その他にも、ロボワードと同じようなソフトで「バビロン」と言う辞書もあるようだ。

 新しいニュース、もっと詳しく知りたければ英語で検索すると言うのも一つの手かもしれない。

 

October 07, 2005

隠しカメラの使い方

 今日テレビのニュースを見ていたら、カーナビを車上泥棒に盗まれた人が、オークションで自分のカーナビが売られているのを見つけて、そのカーナビを落札して犯人と接触。隠しカメラで犯人とのやり取りを撮影し、警察に訴え犯人逮捕に繋がったと言う、まるで小説かドラマの様な話を放送していた。

 犯人の逮捕に繋がった隠しカメラの画像、多分ピンホールカメラか何かの画像だと思うんだけど、カラーで、画像もとても綺麗なのに驚いた。

 最近、盗撮が増えて銭湯の脱衣所や有名な温泉なんかが狙われるようだし、それが盗撮物として売られているらしいのだが、もっと有効な使い方は無いのだろうか?

 犯人を捕まえたのだから今回の場合は有効だったのだろうが、相手が粗暴犯だったら、一歩間違ったら危険な事になっていたかもと思うと一寸怖い。

 隠しカメラを持って行くべきだったと思ったのは、私の場合、病院かな?                           何度かひどい目にあって信じられないような事を言われても、証明するものが無かったら訴訟にも持ち込めない。

 病院と言うのは一種の究極の場だから、勿論患者も普通の状態じゃない事が多いのだが、トラブルが発生した時に、病院は自衛の為に絶対に自分の非を認めないし、患者は一旦文句を言おうものなら俄かには信じられないようなひどい扱いを受けたり、ひどい事を言われたりする事が有るというのは経験済みだ。

 勿論医療従事者が最善を尽くしてもどうにもならない事も有るのだが、人生には不幸にもそうでない場合に遭遇する事が往々にしてあるし、実際隠しカメラか録音の証拠が有れば・・と思った事は何度も有る。

 今度は悔しい思いをしない為にも、病人と言う弱い立場でも自分の身を守れるよう、何か起こった時に相手の過失責任を追求出来るよう、次は是非高性能の隠しカメラを持参しよう。

 まあ、何を追及しても激しい憎悪も後遺症も一生消えないけどね。

 

August 15, 2005

鎮魂御巣鷹山

 「20年前の8月12日、あなたは何処で何をしていましたか?」と聞かれて答えられる人は何人いるだろうか。私はその日、羽田発熊本行きの飛行機に乗っていた。御巣鷹山に墜落したJAL123便とは5分違いの便だった。

 あの日、私たちもJAL123便に乗る可能性が有った。義母の初盆で、お盆にはどうしても帰省しなければならなかった。熊本への直行便が取れなかったら、大阪経由で乗継して帰ろうと言っていた。第二候補の便がJAL123便だったように記憶している。

 私たちが乗った飛行機とJAL123便とは隣同士のゲートだった。123便の乗客と、5分違いの私たちの飛行機の乗客とは同じロビーで搭乗手続きを待っていたはずだ。

 学生時代からスカイメイトをフル活用して帰省はいつも飛行機だった私は、国内線は乗り慣れていた。飛行機に乗って恐怖心を感じた経験はそれまで無かった。飛行機が熊本空港に着く少し前、これまで感じた事の無い言い様の無い恐怖感に襲われた。同乗していた主人にその事を告げると嫌がると思った為、自分の胸に激しい恐怖感をしまいこんだ。

 私たちの乗った飛行機は無事熊本空港に着陸した。私はホッと胸をなでおろした。

 空港からのバスは、いつもはお決まりの観光案内のテープを流しているのだが、その日は何故かラジオのニュースを流していた。おかしいと思った。

 バスの中で、私たちの便と5分違いで羽田を離陸した123便が行方不明になっているとのニュースが流れた。バスの乗客(私たちと同じ飛行機に乗っていた人が多かったように思う)は一瞬言葉を失い、バスの中は異様に静かになった。心臓が凍りついた。私が感じた突然の強い恐怖心の謎が解けた。

 奇しくも丁度その頃私のおなかに宿った新しい命は、19歳の青年になった・・・。

 あれから20年、8月12日には日航ジャンボ機墜落の特別番組をやっていた。9歳の息子さん、20代のお嬢さんをなくされたお母さんがそれぞれ出演されていた。一人息子や一人娘をなくされた方々の顔には、一生変えられない深い悲しみが刻まれていた。

 最後の瞬間の叫びの念を確かに受け取った者としては、只安らかにお休みくださいと願う他は無い。

それでも私は、来週また飛行機に乗る。

 

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