文化・芸術

October 21, 2008

大琳派展

 国立博物館の平成館で開催中の「大琳派展」を見てきた。

Photo_3   残念ながら、俵屋宗達の「風神雷神図屏風(10月28日よりの展示)」や、尾形光琳の「孔雀立葵図屏風(11月5日よりの展示)」は見る事が出来なかったが、

Photo_4  宗達の屏風を写した尾形光琳の「風神雷神図屏風」と

Photo_5  光琳の屏風を模写したと言われる酒井抱一「風神雷神図屏風」を見る事が出来た。

Photo_34 そして、さらにその隣に鈴木基一の「風神雷神図襖」も見る事が出来た。

 画像ではスケール感が分かりにくいが、鈴木基一の襖絵は八面で、屏風よりも横長でかなり大きい。金箔地ではないのできらびやかさは無いが、なかなか素晴らしい迫力だった。

 今回の目玉作品の一つである、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」や尾形光琳の代表作の一つ「孔雀立葵図屏風」が今日は展示されていなかったように、多くの作品が途中で展示替えされるようである。今回見る事が出来なかった多くの作品は11月5日以降に展示されている物が多いようだから、もう一度見に行く必要が有りそうだ。

Photo_10Photo_11   今日、「大琳派展」を見に行って感じた事は、「俵屋宗達は天才だ!」と言う事。京都の養源院の杉戸絵の前に立った時には、思わず「これは・・・何故?」と、絶句してしまった。実に奔放過ぎる形である。天才北斎が富士を自在にデフォルメしたように、宗達も(多分見た事が無かったのであろうが)象を、麒麟を、唐獅子を実に大胆で伸びやかな筆遣いで描いている。「恐るべき宗達!」である。

Photo_35  数ある美しい作品の中でも、最も美しいと思ったのが、酒井抱一の「夏秋草図屏風」 銀地に描かれているが、銀の色が酸化する前は一体どういうあでやかさだったのだろう。静謐でありながら、裏に描かれた光琳の雷神が降らせる雨に打たれる夏の花、風神の風に吹かれてざわめく秋の花の息遣いが聞こえてきそうな作品である。                                             Photo_12Photo_17  展示作品の中で「ぶったまげた」のが、尾形光琳の「三十六歌仙図屏風」 ついつい、同じく?集団肖像画であるレンブラントの「夜景」と比較して、唸ってしまったのであった。

 

 

 

 

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October 03, 2008

忠敬ちゃんとお出掛け

 今日は万歩計を持って、先日御徒町で見付けた古物店に立ち寄った。

 このお店、古物商と骨董店の丁度中間のようなお店なのだが、先日寄った時「浮世絵は置いていますか?」と尋ねて、店主の人が見せてくれた数枚の浮世絵のうち、気になるものがいくつか有ったのだ。

1162058014  数枚の錦絵のうち、明治期の物は赤絵が殆どで興味をそそられなかったのだが、広重の「江戸名所図会 染井」と「東都名所図会 五百羅漢さざえ堂」、それに江戸期のものらしい美人画など、なかなか良い物が有った。
 
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Img_1044  作品の作者と実際の図柄を確かめる為に一旦帰宅してネットで検索してみたのだが、「江戸名所図会 染井」は2代広重の、「東都名所図会 五百羅漢さざえ堂」は初代広重の、そして美人画は渓斎英泉の作らしい事が分かった。

Img_1048  2~3日良く考えて、「五百羅漢さざえ堂」と美人画「三世相逢生竸(さんせそうあいせうくらべ)」を我が家の下宿人として招待する事にしたのだ。

 因みに前の下宿先は東大の元教授宅だったらしい。狭くて汚い我が家だけど、勘弁してくれ。:

Nec_0124  店を出た後、先日歩きそこなった、御徒町→秋葉原→神田ルートを散歩した。
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Nec_0123  途中見付けた神社でお参りして、浮世絵との縁のお礼を言った。
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Nec_0126  この辺りは近代的な都市に埋もれるようにして江戸情緒の残る界隈が点在している。
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Nec_0125  今日訪れた神社も、力石が置いてあり塚のようになっていた。力石の文字の赤と曼珠沙華の赤が響き合い、不思議なハーモニーを奏でていた。

 

 

 

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February 29, 2008

富嶽百景&名所江戸百景

 一昨日、日本橋の三越本店で開催されていた「北斎富士を描く」展を見に行った。

 有名な「富岳三十六景」と、富士を描いた絵本とも言うべき、「富嶽百景」が一枚ずつ額装されて展示されていたのだが、その中で、広重の浮世絵にインスピレーションを与えたのではないかと思われる絵が数枚有ったので、今日はそれを紹介してみる。

Hugakuhyakkei3_4

Meisyoedo1_5 上は、富嶽百景の中の一枚、「紺屋町の不二」(左)と広重の名所江戸百系の「神田紺屋町」(右)。

Hugakuhyakkei4_4Meisyoedo2_5

Hujisanjyurokkei  次に紹介するのは、北斎の富嶽百景の中から、「七夕の不二」(上左)と、広重の名所江戸百景の諸国繁盛七夕祭」(上右)、不二三十六景から「大江戸市中七夕祭」(左)

Hugakuhyakkei6_2
Meisyoedo3_5  富嶽百系の中の「羅漢寺の不二」(左)と、名所江戸百系の「箕輪金杉三河しま 」(右)
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 やっぱり北斎は凄いなぁ。

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December 17, 2007

なめ猫VS.歌川国芳

Nameneko_2  1980年にデビューし、約2年間大ブームを巻き起こしたなめ猫が再びブームになっているらしい。
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Nameneko_3  元祖なめ猫ブームを引き起こしたのはプロデューサー津田覚氏との事である。当時付き合いのあった彼女が忘れていった人形の服に、氏が育てていた4匹の捨て猫たちがじゃれて遊んでいるのを見て、面白半分で洋服を着せてみたのが発端らしい。

Nekonosuzumi2  津田氏も猫4匹を引き取って育てるぐらいの猫好きのようだが、江戸時代にも無類の猫好き浮世絵師が居たようだ。
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Nekonokeiko  その浮世絵師の名前は歌川国芳。江戸時代末期に活躍した浮世絵師である。国芳は無類の猫好きとしても知られ、常に数匹の猫を飼い懐に猫を抱いて作画していたと伝えられている。

Yosee  国芳の絵で、良く浮世絵の本に紹介されるのが、寄せ絵『みかけハこハゐがとんだいゝ人だ』である。この絵を見れば、国芳がウイットに富んだ人であったことが想像できる。
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Nekomoji  国芳はユーモラスな寄せ絵の他にも、団扇絵など猫を擬人化した絵を幾つか描いているし、文字まで猫模様の物を作っている。どうやら元祖なめ猫の前に江戸バージョンのなめ猫ブームが有ったようだ。

 津川氏も国芳も無類の猫好きだったからこそこういう発想を持ったのだろう。

 

 

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June 11, 2007

モネ展

Nec_0004_3  昨日、ぼんやり「新日曜美術館」を見ていたら、「モネ 光を追いつづけた男」と言うタイトルでモネ大回顧展の紹介をしていた。

 モネ大回顧展は国立新美術館の開館記念イベントだし、モネは日本人に大変人気が有る画家なので、さぞかし人が多い事だろうと、行くのはよそうと思っていたのだが、テレビで見るとなかなか良い絵が沢山有るようだった。

Nec_0001_4  混んでいるのを覚悟で、やっぱり行ってみる事にしたのだが・・・。

 予想通り、大変人が多かった。入場は人数制限をしているのか、20分待ち。それでも展示室の方はまだ何とか絵を見る事が出来たのだが、売店は激混みで身動きさえ取れない状態だった。

Nec_0014_1   いつもは展覧会の記念にクリアファイルなんぞ買って帰るのだが、今日はあまりの混みようにあっさり退散。

 人が少なくゆったり見れるのだったら、なかなかの作品揃いで、1500円の入場料は決して惜しくないと思える展覧会だったが、何しろ人が多すぎて、ただただ疲れ果てて帰ってきた感じだった。

Nec_0015_3 行きは乃木坂駅方面から行ったのだが、帰りは六本木方面に抜けて、ミッドタウンの横を通って帰った。

 フ~~ッツ疲れた~!

 

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June 04, 2007

上野のお山開発??

 最近、上野の美術館や神社仏閣に足繁く通っている。

 美術館、博物館関連では、東京都美術館・西洋美術館・国立博物館などは昨年末から今年にかけて、既に複数回展覧会を見に行っている。

 とは言っても、どうも、メジャーな展覧会に目が行きがちで、科学博物館や芸大の美術館には行った事が無かった。

 東京藝術大学美術館に関しては、先日台東区の循環バス「めぐりん」で、芸大前と言うバス停が有るのを確認したし、都美術館のさらに奥にある事も地図で確認したから、上野のお山にある美術館総巡りの今度のターゲットは、東京藝術大学美術館かな?

Konpira 実は、芸大の美術館に行きたいと思ったのは、塗りつぶし的美術館巡りをしようと思ったからではない。先日、ダ・ヴィンチ展を見に行った国立博物館で貰って来た「チラシ」が発端である。

 私が心惹かれたチラシと言うのは「金比羅宮書院の美」と言う展覧会のチラシである。会期は2007年の7月7日から9月9日まで(ぞろ目で実に覚えやすい:笑)。

 チラシを読んだところ、この展覧会、何と金比羅宮の表書院と奥書院を飾る襖絵130面を移動し、両書院の10室を再現するのだそうだ。

 襖絵に関しては、以前偕楽園の好文亭の襖絵を紹介した事が有ったが、あちらは複製である。

 今回、芸大の美術館で公開される襖絵は、円山応挙や、若冲(じゃくちゅう)、岸岱(がんたい)が描いた本物で、重文クラスの襖絵である。

 理想は金比羅宮で見る事だが、せっかく上野のお山まで出張して来てくれる事だし、これは見に行くしかないよね~!

Meisyoedo それに、「金比羅宮書院の美」が開催される期間中は、芸大コレクション展「歌川広重《名所江戸百系》のすべて」が同時開催されているようなのだ。

 これは絶対見逃せないなぁ~。金券屋でチケットをチェックするようにしようっと!

 

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June 01, 2007

ダ・ヴィンチ展

Nec_0017  今日も、仕事と英語のレッスンの間に時間が有ったので、パスポートを持っている上野の「東京国立博物館」に行ってきた。

 実は月曜日も暇つぶしを兼ねて行ってみたのだが、美術館は軒並みお休みですごすごと帰って来たのだが、今日は金曜日なので上野公園は結構な賑わいだった。

Nec_0023  国立博物館では今、特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像」展が開かれている。この特別展は、2007年1月までイタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館で開催されていた企画展を日本向けに再構成したもののようだ。

Jyutai  今回の展覧会の目玉はレオナルドの数少ない実在する油絵の中でも、完成した作品で最も保存状態が良い「受胎告知」なのだが、実はこの絵、本家本元のフィレンツェのウフィツィ美術館で見た事が有る。

 ウフィツィでは、ボッティチェリの「春:プリマベーラ」や「ヴィーナスの誕生」、フィリッポ・リッピの「聖母子と天使」、ミケランジェロの「聖家族」など、有名な作品がザクザク有って、ダ・ヴィンチの「受胎告知」だけ特別に凄い絵画という印象は持たなかったのだが、今 回は「受胎告知」だけ国立博物館本館特別5室に展示されていて、レオナルドの他の作品の実物大の複製画や、レオナルドが描いた設計図を元に作られた模型などは隣の平成館の方に展示されていた。

  国立博物館本館特別5室には、ツタンカーメンの「黄金のマスク」や「モナリザ」、またドラクロワの「民衆を導く自由の女神」なども展示された事が有る様だから、ここは国立博物館の中でも特別な貴賓室って感じなのかな?

 入場の検査も厳重で、長い傘の持ち込みは勿論ダメで、その上金属探知機の検査とバッグを開けての荷物検査も有った。

 そう言った厳重な警備の中で、「受胎告知」の前を移動しながら見た訳だが、ウフィツィではもっと気楽に、普通に見たような感じもするな~。(笑)

 まあでも、外国の美術館から借りてきた人類の宝とも言うべき絵を日本で傷つけたりしたら国辱ものだからこういった検査は必要かもね。

 今日はその後、常設展示も見て、広重の「名所江戸百景」の中から日本橋界隈を題材にした物2枚を含む多くの浮世絵や仏像なども見て、改めて国立博物館の凄さを実感した一日だった。

 

 

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May 03, 2007

毛沢東とサンマルコ広場

 昨日、ポンピドーセンター所蔵作品展を見に行った話を前の記事に書いたのだが、「サンマルコの毛沢東」を描いたErroの他の作品をネットで調べていたら偶然にも前の記事で紹介した若き日の毛沢東の肖像画?写真?をもとにして描いたと思われる作品を見付けたので、それを紹介してみる。

Maoyang_2Erromao_1  右上がErroのMao and his wife。「フーム」って感じだが、この絵に描かれているのは、毛沢東の2番目の妻「楊開慧」。「楊開慧」は、1930年に、蒋介石率いる中国国民党軍に捕らえられて処刑されている。

Erro2  Erroは、この他にも毛沢東とサンマルコ広場のモチーフで何点か作品を制作しているようだから、Erroさん、余程毛沢東とサンマルコ広場と言う突飛な組み合わせが気に入ったんだろう。

 左の絵はThe workers。

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March 24, 2007

片仮名の家紋

 先日、文楽を見に行ったのだが、色々と感じたことや考えさせられた事が沢山有った。

 全部いっぺんに紹介するのは混乱を招くので、おいおい紹介していくことにして、今日は文楽の舞台の端にかかっている幕(小幕)について書いてみる。

Imoseyama_3  写真は「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなてききん)」の舞台の写真であるが、舞台の左右に家紋が2つ入った黒い幕がかかっているのが分かるだろうか。

 文楽の約束事で黒は無を表すようだ。黒衣(くろご)が存在しないものと言うサインとして黒の衣装を身に着けているのと同じ様に、黒い幕(=小幕)は視角から外れた場所、つまり「ここは見えてはいない場所」という約束事を示している幕のようだ。

Komaku_2 見えてはいない場所に、わざわざ目立つ家紋が染め抜かれているというのも面白いが、先日、最前列でこの小幕を間近に見て、「2つの紋の内のひとつの紋の中央に染め抜かれているのは、もしかしたら片仮名かもしれないなぁ?」という疑問を持った。

Hiroshige_1 その時は、そういう疑問を持っただけでそのままになっていたのだが、今日、「浮世絵『名所江戸百景』復刻物語」という本を読んでいたら、三代国豊作の広重の死絵(役者や絵師など有名人の死後に浮世絵にして出される肖像画)に描かれている家紋の説明に、「『ヒ』と『ロ』の二字を組み合わせた紋を付けた夏羽織を着て座布団に座り、右手に数珠を持っています。」とあった。

 そう言えば、羽織の袖に染め抜かれた紋、カタカナの「ヒ」と「ロ」を組み合わせたものと見えなくも無い。

Kandakouyamachi  広重の紋は名所江戸百景中の「神田紺屋町」の画面中央よりやや右に干されている、白地に藍で紋を染めた反物にも描かれている。

 片仮名のロを表す菱形(◇)のなかににヒと書かれているのがわかるだろうか?

Bunraku_mon_2 今日改めて、文楽の舞台にあった小幕に染め抜かれた紋が誰の紋か調べてみたのだが・・・。
 どうやらこの二つの紋、「竹本義太夫」の竹本座と、義太夫の弟子で、共に竹豊時代という浄瑠璃の全盛期を作り上げた「豊竹若大夫」の豊竹座をあらわす紋のようだ。

 とするならば、上の写真の左側が竹本義太夫の紋、右側が豊竹若太夫の紋とするのが妥当だろう。

 そうか、あの紋はやはり片仮名の「ト」「ヨ」だったんだ・・・。と今日はあらためて江戸の人々の粋を感じたのであった。

 ついでだが、周りの模様はどちらも竹と竹の葉を表したものだろう。

 

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March 22, 2007

好文亭

  日曜日に青春18きっぷを使って偕楽園に行き、帰りに鹿島鉄道に乗ってきた。

 今日は、その中から、偕楽園に有る好文亭の襖絵の紹介をしてみたいと思う。

 「好文亭」の名は、梅の異名「好文木」に由来する。 好文亭は1945年の水戸空襲で焼失し、1958年復元されたが、1969年に落雷で再度焼失し、1972年に復元された。

 従って、現在見られる好文亭やその襖絵は1972年に復元されたものと言う事になる。

2007318_028  菊の間

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2007318_031: 桃の間

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2007318_032 つつじの間

2007318_053桜の間
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2007318_050 萩の間
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2007318_034 紅葉の間

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2007318_036松の間



2007318_0482007318_039_1
竹の間


2007318_042
梅の間

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2007318_043 清(せい)の間

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February 28, 2007

やっぱり復刻版だった・・・。

 今日は合気道の送り迎えの間に、いつものように図書館に寄って、ずっと前に予約したいた「ハリーポッターと謎のプリンセス上・下」を受け取り、ついでに折り紙の本と「広重 名所江戸百景」を借りて来た。

 名所江戸百景に関しては、図書館のパソコンで検索して、幾つか関連本を予約してきた。

 この間、浅草の土産物屋で見た、広重の「浅草金龍山」は、やはり江戸時代と同じ絵の具を使って本格的に刷った版画だったようだ。

Meisyoedohyakkei  どうやら、テレビ番組でも広重の復刻版が紹介されたようだし(残念ながら気が付かなかったので見なかった)、アマゾンで調べたら、浮世絵「名所江戸百景」復刻物語という本も有ったから、広重の名所江戸百景が復刻されたのは有名な話なのだろう。

 因みに、仲見世の土産物屋で売られていた「浅草金龍山」は、シートのみで一万円ぐらいだったから、ここで紹介されている物と同じ物だろう。

 それにしても、妙に色々目利きで困る私である。美術品も、人もってか・・・?(謎)

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February 27, 2007

これ若冲???

 昨年だったか、東京国立博物館で「若冲と江戸絵画」展が開かれていたようだが・・・。

Wakaoki  今日はオークションで先日購入した陶器の雛人形の後ろに立てる屏風を探していたら、その、伊藤若冲(じゃくちゅう)の作品と銘打った屏風が売りに出されているのを見付けてしまった。

 本物だったら凄い値段だと思うけど・・・、これ、鑑定団にでも出さないと本物か偽物か分らないかもね。

 今日はやっと木目込みのお雛様の方もテレビボードの上に飾ったし・・・、あとはトイレの飾り棚のお雛様の屏風を調達して、100円ショップで調達した額に入れるお雛様も折り紙で折らないと・・。

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February 25, 2007

灯台下暗し

 今日は朝から洗濯→会議→買い物→家事で疲労困憊。結局江戸東京博物館は夫と次男とで行ってもらった。

Asakusa_1  先日浅草の土産物屋で見た、広重の名所江戸百景の中の一つ「浅草金龍山」の絵(復刻版だろうか?)があまりにも見事だったので、色々調べていたら、現在江戸東京博物館の常設展で、 「歌川広重-名所江戸百景」展を開催中である事を発見した。

 もし今日、江戸東京博物館に出かけていたら、「江戸城」展だけ見て常設展の方は見ずに帰ってきたかもしれないので、今日は行かなくて正解だったのだろう。

 それに、夫と次男の話では、「江戸城」展は人が多く混雑していたそうだ。外国人の姿を多く見かけたようである。特別展自体は素晴らしい模型が置いてあったりして(双眼鏡が置いてあり、双眼鏡で見られるようになっていたようだ)、なかなか良かったようだから来週早速行ってみよう。

 最近色々な展覧会に出かけているが、有名画家の絵はやはり凄いと感じるこの頃だ。

 「名所江戸百景」で検索していて、「浅草金龍山」をバックに使ったグリーティングカードを発見したので紹介してみる。

 自分のアドレス宛てに送ってみるかな・・、グリーティングカード。

 絵に描かれている「雷門」は数度の火災に遭っているようだ。1635年徳川家光によって建てられた門の右に「風神」左に「雷神」を安置してあったところから「風雷神門」、略して雷門と呼ばれたようだ。

 1865年の火災に遭って以来、95年間雷門は存在しなかったようだ。
現在の雷門は鉄筋コンクリート製で、松下電器の松下幸之助氏の寄進で、昭和35年に再建されたものである。

 広重が描いた雷門の提灯には「橋」の字が見て取れるが、当時、寄進者の名前「しん橋」と書かれていたようだ。現在は本堂の提灯に「しん橋」、宝蔵門の提灯に「小舟町」とそれぞれ寄進者の名が記されているそうだから、今度浅草寺に行ったらチェックしてみる事にしよう。

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January 31, 2007

 文楽

Bunraku  今日、文楽のチケットを申し込んで、何と最前列の席が取れた(笑)。所謂人形浄瑠璃というやつだ。

 この手の趣味を共有出来る人はいなさそうなので、一人で行く予定。(笑)行く前に演目のストーリーについて少し勉強しておいた方が、より楽しめそうだ。

 今年は、美術館巡りだけでなく、こう言った劇場鑑賞系のもの、例えば雅楽とか、薪能にも行きたいのだが、誰か誘ってくれないかな~?

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December 04, 2006

西洋美術館

 

Icarus  実は昨日は国立博物館で開催されている仏像展の帰りに「ベルギー王立美術館展」も見て帰った。ブリューゲル(父)の「イカロスの墜落」や、シュールレアリズムの巨匠、ポール・デルヴォーやルネー・マグリットの作品が印象的だった。

 流石に博物館&美術館のはしごは疲れたのだが、鑑賞を終え外に出ると吃驚。西洋美術館の入り口に有るロダンの一連の彫刻群(考える人・カレーの市民・地獄の門など)がイルミネーションで飾られていた。(写真は入場前に撮影したロダンの彫刻群↓)

Img_1607Img_1610

Img_1615 ←写真は青い電球で彩られた西洋美術館の前庭。写真の右手に考える人が、真ん中やや左にカレーの市民の彫刻がそれぞれある。

Img_1617  ライトアップされた地獄の門。昼間見るのとはまた印象が違う。

 昨日は常設展を見るゆとりが無かったが、今度行った時にはゆっくりと松方コレクションを見て回ろう。

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December 02, 2006

国立博物館「仏像」

Img_1583  国立博物館で開催されている「仏像 一木にこめられた祈り」が12月3日(日)までだったので、今日は休みにも拘らずわざわざ上野まで電車に乗って出かけた。

 実は、土日はなるべく外出しないようにしていたのだが、チケットを買っていながら仏像展に行きそびれていた。金曜日は8時までだったようなので、本当は昨日五島美術館に寄った帰りに寄ればよかったのだろうが、そんなに遅くまでやっているのを知らなかったのだ。

 ネットで調べたら、11時~12時ごろと2時~3時頃は込み合うようだったので、昼過ぎに入場できるように時間を計って出かけた。

Img_1587  明日は最終日だし、随分人気が有る特別展のようだったから覚悟はしていたのだが、到着したらやはり入場制限をしていた。私が着いた時はそれでも10分待ちぐらいだったのだが、帰りは列が長くなっていて、30分待ちになっていたようだ。

13  仏像展では奈良・平安仏から江戸時代の円空(えんくう)・木喰(もくじき:左は木喰作の如意輪観音、行基菩薩、大黒天像)までの、一木彫(いちぼくちょう)の名品146体(国宝4体、重要文化財41体を含 む)を見る事が出来たのだが、 ここで言う一木彫とは、腕 などを除く像の主要部分を一本の木から彫った仏像の事Kan_photo01_1である。

 当然大型の仏像は少なくなるのだが、その中で国宝の十一面観音菩薩立像は流石に素晴らしい仏像であった。

 今回の仏像展は一木彫の仏像を集めた物であったのだが、今度は是非、寄木造りの大型の仏像展をやって欲しいと思った。・・・と言うのも、もう20年以上も昔の事だが、その宝蔵内にどんな仏像が納められているか知らずに、宝蔵の前を何度も素通りしていた、観世音寺の仏像を見た時の驚きを思い出したからである。

 観世音寺は、九州大宰府の由緒有る古刹であるが、現在は廃れた寺という印象が強い。宝蔵に所蔵されている仏像も火災に遭って消失したようで、現在宝蔵に安置されている仏像は1064年の火災以降の復興仏とされている。

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 しかしながらこの寺の保有している重要文化財の中には像高5mクラスの仏像が何と3体も含まれるのだ。(↑、左から不空羂索観音立像517cm、十一面観音立像498cm、馬頭観音立像503cm)この寺の収蔵品だけでも一寸した展覧会を開く事が出来るような豪華な品揃えなのだ。

 下は、観世音寺所蔵の重要文化財。以下の諸像のうち、聖観音立像と阿弥陀如来立像以外は宝蔵に安置。

木造聖観音坐像-旧本堂(講堂)本尊。治暦2年(1066年)の作。
木造馬頭観音立像-旧本堂所在。像高5メートルを超える平安後期の大作。
木造不空羂索観音立像-旧本堂所在。像高5.2メートル。奈良時代作の前身像(塑像)が倒壊後、貞応元年(1222年)に復興したもの。解体修理の際、像内から破損した前身像のものと思われる、奈良時代の塑像断片と塑像心木が発見された。
木造十一面観音立像-旧本堂所在。像高5メートル。延久元年(1069年)の作。
木造十一面観音立像-旧本堂所在。像高3メートル。
木造阿弥陀如来坐像-旧金堂本尊
木造十一面観音立像-旧金堂所在。
木造四天王立像-旧金堂所在。
木造大黒天立像-旧金堂所在。
木造吉祥天立像-旧金堂所在。
木造兜跋毘沙門天立像-旧金堂所在。
木造地蔵菩薩立像-旧金堂所在。
木造地蔵菩薩半跏像-旧金堂所在。
木造聖観音立像-旧金堂所在。現在、本堂に安置。
木造阿弥陀如来立像-旧金堂所在。東京国立博物館に寄託。
石造狛犬
舞楽面3面
天蓋光心

Bo4  上の重要文化財のリストの中に有る十一面観音立像のうち3mの物は一木彫の仏像のようだが、今回の展覧会にはなかったような気がする。ただ、今回の仏像展も十一面観音の名作が沢山展示されていた。
像高5m以上の仏像となると、当然寄木造りであることが想Bo42像されるのだが、やはり大きい仏像は迫力が有る。観世音寺の宝蔵で、巨像に取り囲まれた時の感動は20年以上経った今も鮮明に思い出されるのだ。

 特に馬頭観音が美しくも恐ろしかった印象が有る。今度は是非、寄木の仏像展を行って欲しいと思った。

 

 

 

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November 11, 2006

ゴッホのひまわりは素晴らしかった!

 一昨日行く筈だったウイーンアカデミー名品展、Img_0461諸般の事情で行けなかった為、今日塾帰りの次男を拾って一緒に新宿の損保ジャパンビルまで出かけた。(←写真は新宿駅から高層ビル群へと続く地下道にある新宿の目)

 ウイーンアカデミー名品展は明日が最終日なので混むだろうし、今日は土曜日とは言え雨模様なので割合空いているだろうと踏んだのだった。(笑)

Img_0463 損保ジャパン東郷青児美術館は何とビルの42階!新宿には高層ビル群が林立しているとは言え、ビルを見上げると眩暈がしそうだ

 実はチケットが2枚有ったので無駄にするのもと思い、次男を連れて行ったのだが、小学生はタダだった。(笑) 

 次男は美術館は多分2度目位の経験だろう。夫が好きなので恐竜展等で国立博物館などには何度か連れて行った事が有ると思うのだが、多分美術館に連れて行ったことはあまり無い筈だ。

 子供を連れて行くと、作品に触ったり騒いだりしないように気を使わなくてはならないので、一緒に連れて行くのが嫌だったのだが、今日行った損保ジャパンの美術館は、貸し出しの音声案内に子供用も有ってなかなか良かった。

20060703_09 雨だからそれ程混んでいないだろうと言う予想通り、最終日が近い週末とは言え、許せる範囲の混み方だった。音声案内の子供用と大人用を借りて二人でたっぷり1時間以上かけて見て回った。

 次男は音声案内付きで名画を満喫したようで、なかなか良かったと言っていた。

 次男も私も、しかし一番のお気に入りはゴッホのひまわり。常設展の方の作品である。

464pxvan_gogh_vase_with_fifteen_sunflowe  

 この作品、購入の際の値段(3992万1750ドル、当時のレートで約58億円)やその後の贋作騒動で物議を醸した作品であるのはご存知の通りだが、実物を目の前にするとやはり作品のオーラが違うなと感じる。それに、思いのほか大きい作品だ。

 絵画展で色々な絵が並べられているのを見ると、やはり有名な画家の有名な作品からは他の作品にはないオーラが出ていると感じるし、有名な作品の前に佇むと、圧倒されて押されたようについ後ろによろめいてしまう事もしばしばだ。

Img_0485 展覧会を満喫した後、アートショップで私はひまわりのクリアファイルを、次男は額絵を(→)購入。

 この額絵、凹凸仕上げの絵が入っていて、ひまわりの絵を入れていた額は、木製の無垢の濃い茶色の額だったから、額の感じも大体こう言う感じだったんだけど・・・。それにしてもこう言うtacky souvenir Img_0497_1って感じの物、好きなんだよな~。 日光に行った時もこんなの(←)をお土産に買ってきてくれたし・・。(笑)

 「やっぱりこれが本物に一番近い感じがするからこれが欲しい」と言う次男に押されて、部屋を片付けて机の上に置き場所を作る事を条件に大枚2,000円もはたいてしまった大甘な母だった。(笑)

Img_0479  外に出たらすっかり日が暮れていた。新宿駅まで行く途中で、パークタワーまで行くシャトルバスの乗り場が分らずに困っていた韓国人の若い女性二人組みに出会ったので、彼女らを乗り場まで案内した。

 「パークタワーって何?」と言う次男の問いに、「さあ、高いビルなんじゃない?夜景を見に行くんでしょう」と答えた私。今度天気が良い日に、夜景を見にパークタワーに連れて行く事を次男に約束させられてしまった。(泣)

 パークタワーの辺りはクリスマスイルミネーションもしているようだから、11月のうちに行っておいた方が混まずに済みそうだ。

 その後ヨドバシカメラのゲーム館に寄ってDSのソフト(ボケモン、ダイアモンド)を購入。次男が小遣いを貯めて買ったのだ。

 電車で最寄り駅に着いてから、ツタヤに寄って「ダヴィンチコード」を借り、ケンタッキーで夕ご飯を調達してから家に帰り着いた。さあ、今晩はダヴィンチコード観るぞ~!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 次男が美術館は初めてではないと言い張るので、2度目位と上に書いたのだが、私は連れて行った記憶が無い。夫が出張から帰って来たので聞いてみたが、夫も連れて行った事は無いと言う。不思議に思ったのだが、さっき謎が解けた。ツアーで行ったイタリア旅行で、ウフィッツイ美術館とヴァチカン美術館に行った事が有ったのだ。ツアーだし、イタリアはいたるところ美術品だらけって感じなので見逃していた。それにしても、イタリアではそれこそ値段が付けらない名画(ボッティチェリやダヴィンチやミケランジェロやラファエロなど)を沢山見た割には、子供連れのストレスを感じなかったなぁ。何故だろう。

 

 

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November 09, 2006

用賀の世田谷美術館(ルソー展):その2

 作品を見終わった後は、例によってミュージアムショップでお買い物。

Shp00001_obj3061024_1515300412_sam_06_1 ■         
 ミュージアムショップのお土産の中では、この美術館オリジナルのルソーの「フリュマンス・ビッシュの肖像」の顔をモチーフにした金太郎飴が秀逸だ。(笑)

 何とも、企画をした人のユーモアのセンスが感じられる飴だが、この飴、先日根津神社にお邪魔した時に、神社の近くに有った金太郎飴のお店と同じ会社が作っているものだった。

Bridaltop  この会社、ブライダルの記念品なども作っているようだ。還暦祝いにあなたも一本注文なさっては如何だろう?

 精巧に人の顔かたちが飴の中に再現できる訳は、ここで紹介されている。金太郎飴は、顔のパーツを組み合わせて直径35cm、長さ70cmほどの巨大な飴を作ってから、それを引き伸ばして作られるようだ。それにしても、飴自体も凄い技だ。

 世田谷美術館のお土産のモチーフになっている「フリュマンス・ビッシュの肖像」には、実は悲しい逸話が有るのだが、この作品自体は今は美術館を代表するマスコット的作品になっているようだ。

S1_p1_1 1893年頃 油彩、カンヴァス92×73センチ 世田谷美術館蔵
ルソーが親しくしていた女性の亡き夫を描いたもの。ルソーは以前想(おも)いを寄せていたこの女性を慰めるため、肖像を描いて贈った。研究者によって遺族のもとから発見された作品。 

 風邪気味なので続きはその3で紹介することにする。

 

 

 

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November 08, 2006

用賀の世田谷美術館(ルソー展):その1

Img_0358  昨日も例によって、仕事の後に千疋屋のCaffe di festaへ寄って「実りの秋フェアー」の秋限定メニュー、洋ナシサンデーを頼んでみた。

 先日食べた林檎サンデーの林檎は、白ワインで煮てあったのだろうと思ったが、洋ナシサンデーの方は赤ワインで煮てあるのか、トッピングの洋ナシのパープルの色が美しい。

 食べた洋ナシサンデーも美味しかったが、個人的には林檎サンデーやマロンサンデーの方がより感動的なお味だったように思う。

Img_0369  腹ごしらえをしてから、半蔵門線で用賀まで。世田谷美術館の開館20周年を記念して開かれている企画展「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」を観に行った。

 三越前で半蔵門線に乗って、渋谷から美術館の最寄り駅である用賀までは東急田園都市線になるようだが、乗り換え無しで行けるのが嬉しい。

 用賀駅から美術館まではバスが出ているので、行きはひとまずバスに乗ってみた。

 そもそも世田谷美術館はルソー作品を目玉にしているようで、今回の20周年企画展も世田谷美術館の所蔵作品と主に国内の美術館が所蔵しているルソー作品を借りで開催されていたようだった。

 ルソーの作品の感想は、特に小さい作品は細部まで繊細に描きこまれていて、非常に完成度が高い作品で有ると言う事。「素朴派」という語感に騙されてはいけない。(笑)

 ルソーの作品自体は23点ぐらいだったが、ルソーと同じく素朴派と呼ばれているアンドレ・ボーシャン、カミーユ・ボンボワ、ルイ・ヴィヴァン、セラフィーヌ・ルイなどの作品を観ることができた。

 また、ルソーに影響された国内の作家として、藤田嗣治、岡鹿之助、三好好太郎、有元利夫、堂本印象、植田正治、横尾忠則などの作品も観ることができた。

 この中で私が特に面白いと思ったのは横尾忠則氏のルソーのパロディ作品。

 もとになったルソーの作品をペイントで加工して、横尾忠則氏のパロディ作品がどういうものか思い出して再現してみた。(笑)

 図録を買って来なかったので記憶を頼りに再現を試みたが、何しろ頼みの記憶力は昔から全然自信が無い。それに、ペイントを使うのは二回目位で(笑)技術と根気も著しく不足していて申し訳ないが、試しに2枚だけ横尾氏のパロディ風に加工した物を作ってみたので(右)、ルソーのオリジナル(左)の隣 に並べてみる。

 *大体こんな感じだったと思うけど、違っていたらごめんなさい。

Onfetebebe_2

Onfetebebehenri_rousseau_2

051108_rousseau2_1 _051108_rousseau2_2

Gypsy 上で紹介した以外のものは、一枚は左の絵の横たわっている女の人がライオンに食われていて、骨だけが残っていて、赤い血が流れているという物。あとまだ有ったかも知れないが、残念ながら図録を買わずに帰ったので、良く憶えていない。

Sp00133_obj8_1  ルソーに影響を受けた画家達の作品の中では、その他には有元利夫氏の作品が非常に印象的だった。

  世田谷美術館がある砧公園周辺は用賀駅から素敵な散歩道が整備されていて、とても魅力的な場所だった。それについてはその2で紹介しようと思う。

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October 26, 2006

大エルミタージュ美術館展

 明日の仕事の資料を作っていたら、さっきまでかかってしまった。

Dscn2345  今日は仕事の後に上野公園にある東京都美術館に行って、大エルミタージュ美術館展を見て来た。ゴーギャンの「果実を持つ女」が印象的だった。

Dscn2346  最近こう言う展覧会を見るのは本当に根性無しで、並んでゆっくりと見る人の後ろから一瞥して、次の絵をさっさと観に行くというのが常になってしまっている。(泣)

 入場料が勿体無いと思うのだが、どうもゆっくりと動く人の波に入って観る気がしないのだ。

 多分、ヴァチカン美術館やウフィッツイー美術館と比べてしまうのがいけないのだろうが、日本で開催される美術展は、展示してある美術品の割に入場料が馬鹿高い気がする事が多いし、人も多過ぎて鑑賞どころではない事が殆どだ。

 大エルミタージュ美術館展は、日本に来る一般的な展覧会に比べると、内容も充実していて、平日のせいか、混み方も許せる範囲内だったのだが、何しろ最近気力も体力も無いので、我慢強く絵を鑑賞する気になれない。

 それでも何とかゴーギャンやマティス、モネなどの印象派の作品だけはしっかりと時間をかけてじっくり観て来た。

Gogyan  ゴーギャンは昔から好きな画家だったが、今日は帰るなり、アマゾンで来年用のカレンダーを注文してしまった。サイズなどの説明が無く、どんなサイズの物が来るのか不安だったが(普通のサイズの12枚綴じのカレンダーにしては安過ぎるし)、ゴーギャンのカレンダーの品揃えはまだ少ないようだったから、今日見た「果実を持つ女」が表紙になっているものを注文した。

 思ったような物が来なかった場合、ジョイフル本田に行けば輸入のゴーギャンのカレンダーを調達出来るだろう。

Dscn2324Dscn2351Dscn2353

 


 東京都美術館の中庭で、大道芸人の人が、和傘でボールなどを回す芸をしていたが、上野公園内には他にもアコーディオン演奏しながら歌う人や、オペラ風の歌を歌っていた人、出し物の準備をしている外国人などがいた。公園内で大道芸や音楽の出し物をするには許可がいるようで、一様に小さいホワイトボードに演じている人の名前と出し物の種類が書いてあった。休日はもっと賑わうのだろう。

 日本もこう言うストリートミュージシャンや大道芸人の中から凄い人が沢山出て来る様な文化的風土が育って欲しいと思う。

 エルミタージュ美術館のバーチャルツアーはこちらからどうぞ。

 

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October 12, 2006

ノーベル文学賞はオルハン・パムク氏

 村上春樹氏が受賞するかもしれないと期待をもたれていた、2006年ノーベル文学賞だが、どうやら本命のトルコ人作家、「オルハン・パムク」氏に決定したようだ。

 内田樹先生なんかも「村上春樹がノーベル賞をもらったときの記事」を依頼されていたようなのだが、記事、無駄になっちゃったのかな?

 アマゾンで調べたら、オルハン氏の本は 『雪』と『わたしの名は紅』の2冊が注文出来るようだった。

 買って読んでみたい気もしたが、どちらも3000円台で結構なお値段なので、あえなくギブアップ。(笑) 代わりに図書館で借りる事にして検索してみたら「雪」の方が有るようだった。

 早速ネット予約をしたのだが、今借りている人がいるが、予約待ちの1番。速攻で予約したから良かった! 多分今月中には読めるだろう。

 さて、とりあえず、今借りている(確か返却期限が少し過ぎている)村上春樹氏の『海辺のカフカ』読まなくっちゃね。

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October 10, 2006

古事記より イザナミ -その2-

 古事記より 『黄泉国(ヨモツクニ)』

 イザナキは悲しみのあまり、声を上げて泣き叫んだ。

「いとしい我が妻よ!たかが子供の一人のために、かけがえのないお前を失ってしまったとは!」

 イザナキが呼べど叫べど、とうとうイザナミは蘇生しなかったので、今はこれまでと、出雲国(イズモノクニ)と伯伎国(ハハキノクニ)との境の比婆之山(ヒバノヤマ)に葬ったのであった。

 憎き奴は、子の火の神、カグツチである。イザナキは腰に帯びた十拳剣(トツカノツルギ)を抜き放つなり、カグツチの首を切り飛ばした。そのとき、剣の切先についた血は、累々とした岩石の群れにほとばしって、さまざまな神が生まれた。

 日がたっても、イザナキはイザナミを亡くした悲しさ恋しさが募るばかりであった。ついに、イザナキはイザナミに会いたい一心で、この世のものならぬ地の涯(はて)の黄泉国(ヨモツクニ)への旅に出たのであった。

 黄泉国(ヨモツクニ)は生者をかたく拒み、その御殿の入り口は岩乗(がんじょう)な冷たい石の扉で鎖(とざ)されていた。しかし、イザナキがはるばると訪ねて来たことを知って、イザナミは石の扉まで迎えに出て来た。イザナキは扉ごしに、イザナミをかき口説いた。

「いとしい妻よ。恋しいお前よ。おれとお前と苦労してつくった国は、まだ形をつくったばかりで、これからが本番じゃないか。お前が助けてくれなければ、本当の完成は出来ないんだ。どうか、おれと一緒にもう一度、帰っておくれ。戻っておくれ」

 これを聞いて、イザナミは次のように応(こた)えた。

「なぜ、もっと早く来てはくれなかったのですか。残念ながら、もう遅すぎるのです。わたしはこの黄泉国(ヨモツクニ)で、不浄な火と水で炊いた食物を食べてしまったので、既に身も魂も穢(けが)れてしまいました。でも、いとしいあなたが、こうしてわざわざ迎えに来てくださって、とても嬉しくてたまりません。ほんとうにありがとう。わたしも今すぐに飛び立って帰りたくなりました。暫くのあいだ、この国の神々と会って相談して来ますから、待っていて下さい。ただ、断っておきますけれども、そのあいだ、わたしの姿は絶対に見ないで下さい」

 イザナミは御殿の奥の方へ戻っていった。

 イザナキは石の扉の傍らに彳(たたず)んで、言われた通りに待っていたが、いつまでたっても愛するイザナミは戻ってこない。イザナキはとうとう痺れをきらして、禁を破る気になった。

 暗闇の世界なので、イザナキは角髪(みずら)に結った髪に挿した爪櫛(つまぐし)を手に取ると、端の大きな歯を一本折って、それに火をつけた。あたりを照らしながら、そろそろと入って行くと、その乏しい火の中にイザナミの姿が見えた。

 が、なんたることか。イザナミの全身には無数の蛆(うじ)がたかって波打つように蠢(うごめ)き、いたるところから血膿(ちうみ)が流れ出ている。イザナキはこの有様を見た途端、恐怖にかられて飛んで逃げ出した。それを見て、イザナミは叫んだ。

「よくもわたしに恥をかかしたわね!」

 と同時に、黄泉女(ヨモツメ)たちに命じて、イザナキを追いかけさせた。

 イザナキは無我夢中になって逃げた。追っ手が迫ってくると、髪につけてあった黒御鬘(くろみかずら)を後方に投げ捨てた。黒御鬘(くろみかずら)は地上に落ちると、たちまち葡萄になって実をつけた。その実を追手の黄泉女(ヨモツメ)たちが摘んで食べているあいだに、イザナキは遠くへ逃げた。

 イザナミは怒り心頭に発して、さらに八柱(やつはしら)の雷神に千五百人の黄泉軍(ヨモツイクサ)をつけて、イザナキを追いかけさせた。イザナキは十拳剣(トツカノツルギ)を抜き放って後ろ手に打ちふりながら逃げ、ようやく黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)の坂本まで来た。イザナキは坂本にあった桃の実を一箇取って待ち構え、激しく投げつけると、追手は恐れをなして、みな逃げ帰ってしまった。

 が、最後にイザナミだけが執念深く追い迫って来た。イザナキはたちまち神力を発揮して千引岩(ちびきいわ)を引き、黄泉比良坂(ヨミヒラサカ)に据えて塞いでしまった。千引岩(ちびきいわ)を隔てて向かい合いながら、イザナキはこれを限りに離別するとイザナミに通告した。イザナミは悲痛に叫んだ。

「いとしい我が良人よ。あなたがこのようなひどい仕打ちをなさるなら、わたしはあなたの国の人々を毎日千人ずつくびり殺してやるから、そう思いなさい」

「いとしい我が妻よ。お前がそんなひどいことをするならばするがよい。おれは毎日、千五百の産屋を建てて、子供を生ませようじゃないか」

 こういうわけで、わが国は一日で千人死に、そのかわりに一日に千五百人生まれることになったのである。

 

Higashiizumo 追いすがる妻やその手下の黄泉の醜女(しこめ)達を退けるため、黄泉路をふさいだ大石を、道反の大神(みちがえしのおおかみ)といい、この世に残った黄泉路の半分が、伊賦夜坂(現在の島根県東出雲町→)とされる。

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古事記より イザナミ -その1-

 昨日書いたイザナミの話、面白いのでもう少し詳しく紹介してみる。

 古事記より 『国造り』

Izanami_and_izanagi 太陽や月や地球が出来はじめたとき、高天原にさまざまな神が現われた。最後に現われた伊邪那岐神(イザナキノカミ)と妹伊邪那美神(イモイザナミノカミ)が、国造りを命じられた。

 イザナキとイザナミは天浮橋(アメノウキハシ)の上に立って、天沼矛(アメノヌボコ)を下界に突き下し、海をかきまわして、島をつくった。この島に降り立って、先ず八尋殿(ヤヒロドノ)を建てると、イザナキはイザナミに訊(き)いた。

「お前の身体(からだ)は、どんなふうに出来上がっているのか」

「私の身体(からだ)は、だんだんと出来てきて、ほどよく出来上がっていますが、だだ一箇所だけかけているところがございます」

「そうか。おれの身体(からだ)は、その逆に一箇所だけ余分なところが有る。それでは、おれの身体(からだ)の余分なところを、お前の身体(からだ)の欠けているところに刺しいれて塞ぎ、国を生もうと思うが、どうか」

「それは善いことでございます」

「では、おれとお前でこの柱の周囲を両方から廻り、出会ったところで契りをむすぼう」

 と言ってから、さらに命じた。

「お前は柱の右から廻れ、おれは左側から廻ろう」

 二人は柱を廻りはじめ、出会ったとき、イザナミがついに感嘆の言葉を先に発した。

「なんてまあ、素敵な男でしょう!」

 そのすぐ後で、イザナキも感嘆の言葉を発した。

「なんてまあ、美しい乙女だろう!」

 イザナギはそう言ってしまってから、気がついてイザナミに叱言(こごと)を言った。

「女の方が先にものを言うのは、よくないことだ」

 その結果、生まれてきたのは水蛭子(ヒルコ)だったので、蘆で編んだ船に入れて、流し棄ててしまった。

 イザナギとイザナミは改めて柱を廻りはじめ、今度は間違わずに、

「あなにやし、えおとめを!」

 と先にイザナキが感嘆の言葉を発した。

「あなにやし、えおとこを!」

 と次にイザナミが唱和してから、抱き合ったのである。

 今度は次々に健全な子を生んだ。最初に生んだ八つの島を、総称して大八島国(オオヤシマクニ)と言った。さらに六つの島を生んでから、今度は神々を産むことになった。

 最後の火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を生んだとき、イザナミは陰処(ほと)を焼かれ、病に臥してしまった。イザナミの病はだんだんと重くなり、ついにあの世へと旅立って行った。

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November 14, 2005

東京って凄い?

 東京に住んでもうすぐ5年になるが、都市自体に愛着が無いせいか、雑然としたところとか、人口が多過ぎるところとか、排気ガスが凄いところとか、そういったところが嫌いなせいか、仕事と学校以外では殆ど出歩かない私だ。

 実際、今人気の六本木ヒルズには行った事が無い。お台場には家具屋目当てで何度か行った事が有るが、新宿も本屋に1~2度行ったり、積水ハウスのオフィスに行ったり、国連英検の学校の見学に行った位で、全体的な都市としての東京、殆ど土地勘が無い。

 そんな私でも、通勤や、通学の為に電車は利用するから、電車には何とか乗り慣れた。数年前の有る日、出勤途中に新橋の改札口付近で、偶然にも平山郁夫画白をお見かけした事が有った。

 以下、その時の会話

 秘書らしき男性が、切符の清算機に向かって小走りで走って行き平山画伯お一人になったのを目ざとく見つけた私、画伯に突進して行って・・・。

私: 「あのう、突然失礼致します。平山先生でいらっしゃいますか?」

平山画伯: 「そうですが・・」

私: 「私、先生の大ファンで、先日も薬師寺の玄奘三蔵院に行って参りまして、先生の「大唐サイユウキ」(本当は「大唐西域壁画」だってば)拝見させて頂きました、お会い出来て本当に光栄です!            もし宜しかったら、握手をして頂けないでしょうか?」

平山画伯: 「いいですよ」

 と言う感じで、握手していただいた事があった。あまりの興奮に「大唐西域壁画」が、いつの間にか西遊記になってしまった私(笑)、後で思い出して赤面したのだが、その時は物凄くあがっていたので気付かなかった。

 本当はサインを頂きたかったのだが、仕事用の辞書類と、教科書、ノートのみで、適当な色紙の持ち合わせが無かったので諦めた。

 よく、線が入ったメモ帳やノートにサインを頼む人を見かけるが、私はそういうのは相手に失礼だと思うので絶対にしたくない。

 昨年合気道の道主、植芝守央先生(合気道界の家元のような方)にお会いした事が会ったが、その時もノートしか持ち合わせが無かった。その時は、失礼だとは思いつつ、合気道を習っている息子が喜ぶだろうと思い、誘惑に負けてノートの裏表紙の白い厚紙を差し出し、「ノートで恐縮ですが、息子が合気道を習っているので・・。頂いたサイン、額装して入れますからお許し下さい。」とお断りしてサインを頂いた事が有った。

 道主は、「どなたに習っていらっしゃるんですか?何だったら色紙に書いて後で送りましょうか?」と言って下さったのだが、そんな事は滅相も無いので丁重にお断りして、それでもちゃっかりサインは頂いた。そして、痛まないように、1時間後には西武のロフトで額装して頂いた。

 有名人に出くわす事が出来るというのは、東京に住んでいる利点の一つだが、簡単な小さめのサイズの色紙位は持っとかないと、サインを頂く時機を逸してしまいそうだ。

 平山郁夫氏、絵も勿論好きなのだが、氏の生き方に惹かれてファンになったと言う方が正しいかな?

 被爆者である平山氏、多くの学友の死を目の当たりにして、自らも被爆の後遺症と戦いつつ、死の恐怖も有ったと思う。平山氏が僧玄奘の辿った道を追体験したかった理由と情熱を知りたくて、壁画完成後の最初のゴールデンウイークに薬師寺へと向かった。

 薬師寺の瓦に般若心経の一文字を書いて祈願する一文字写経瓦を奉納したのもその時である。

 薬師寺の建物増設については賛否両論有ると思うが、私は、宗教は生きている人の為のものであると思う。過去ばかりに固執する必要はさらさら無いというのが私の考えだ。

 

 

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October 26, 2005

Venus and Mars

 実生活で特段変わったことが起こらないので、暫くさまよい続けたいと思う。

 昨日取り上げた、ヴィーナス アンド マーズ、ここに詳しい説明が有るので興味が有る人は読んで欲しい。

 この説明文によると、Mars は戦争の神、Venus は愛の女神で、この絵の主題は「愛は戦争を克服する」「愛は全てに打ち勝つ」と言う事らしい。

 この絵、どうやらベッドルームの家具の一部として描かれたらしい。そして、どうやら、Venus と一戦交えた後のMars、満足の為か、頑張り過ぎたのか知らないが、死んだように眠っている。サテュロスが、Marsの槍を盗もうとしているが、それにも気付かずに寝ている。つまり、武装解除という事らしい。

 この手の寓意画、とっても面白いと思う。

 Venus とMarsは、金星と火星と言う意味でも使われているが、神々の特性から出た派生語がまた面白い。

 Venus(ローマ神話)、形容詞形はvenerealなのだが・・・。

venereal
【形】 性病{せいびょう}の、性欲{せいよく}の、性交{せいこう}の、性器{せいき}の

 また、Venus(ローマ神話)はAphrodite(ギリシャ神話)と同一人物のようだが、aphroditeの形容詞形aphrodisiacの意味は

aphrodisiac                                     【形】 性欲を促す, 催淫(さいいん)の
【名】 催淫薬、媚薬{びやく}、ほれ薬

 らしい。こういう単語の覚え方なら、新しい単語もすぐに覚えられたりして・・・。(笑)

 さて、Marsの派生語だが、古代ローマ初期には、ローマ軍は冬は戦争を休んでいたらしい。だから、春が来る3月を軍神Marsの月としてMarchと呼ぶようになり、軍隊の行進がmarchになったようだ。(ホリム・ハン著、赤単より)

 因みに、Plutoの意味は

Pluto
【名-1】 《ギリシャ神話》プルートー、黄泉の国、地獄◆【同】Hades / Dis◆ゼウス(Zeus)の兄弟プルートー(Pluto)が支配する地界、死者の国。
【名-2】 冥王星、冥界の王

 

 

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October 25, 2005

究極のストーカー?

 「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の中で、ティーカップの底を見て占う、カップ占いの授業の場面が有った。今日は、その場面から連想した出来事について書いてみる。

 昨年だったか、オークションで、アンティークカップを物色していたら、カップの内側の底にHenry Holiday 作の絵、'Dante and Beatrice' :(ダンテとベアトリーチェが聖トリニタ橋のたもとで再会する場面が描かれている)が、印刷されている物が出品されていた。カップの底の絵が描かれていた部分にヒビが入っているように見えて、完璧な状態とは言えなかったし、確か値段も結構高かったので入札するのを見合わせたのだが・・・。

dante_and_beatice

 このカップ、商品説明に、ダンテ、ベアトリーチェ等の言葉が一言も出ていなかった。多分出品者が、絵の主題を理解していなかったものと思われるが、マニアと呼ばれる人達にとっては、たまらなく魅力的だろうから、ちゃんと絵の場面を理解して説明しといた方が高く売れるだろうと思った。

 ダンテとベアトリーチェについては、「神曲」を読んだ事の有る人は、興味を持って調べた事が有る人も多いのではないかと思う。

 分かりやすい説明が有ったので、下に貼り付けてみる。

ベアトリーチェ

 ダンテを代表する最初の詩文作品、『新生』によれば、1274年の5月1日に催された春の祭りカレンディマッジョ(Calendimaggio)の中で、ダンテは同い年の少女ベアトリーチェ(ビーチェ)に出会い、魂を奪われるかのような感動を覚えたという。この時、ダンテは9歳であった。

 それから9年の時を経て、ともに18歳になったダンテとベアトリーチェは、聖トリニタ橋のたもとで再会した。その時ベアトリーチェは会釈してすれ違ったのみで、一言の会話も交さなかったが、以来ダンテはベアトリーチェに熱病に冒されたように恋焦がれた。しかしこの恋心を他人に悟られないように、別の二人の女性に宛てて「とりとめのない詩数篇」を作る。その結果、ダンテの周囲には色々な風説が流れ、感情を害したベアトリーチェは挨拶すら拒むようになった。こうして希望を失ったダンテは、深い失望のうちに時を過ごした。1285年頃に、ダンテは許婚のジェンマ・ドナーティと結婚した。

 二人の間にさしたる交流もないまま、ベアトリーチェはある銀行家のもとに嫁ぎ、数人の子供をもうけて1290年に24歳という若さで病死した。彼女の夭逝を知ったダンテは狂乱状態に陥り、キケロやボエティウスなどの古典に読み耽って心の痛手を癒そうとした。そして生涯をかけてベアトリーチェを詩の中に永遠の存在として賛美していくことを誓い、生前の彼女のことをうたった詩をまとめて『新生』を著した。その後、生涯をかけて『神曲』三篇を執筆し、この中でベアトリーチェを天国に坐して主人公ダンテを助ける永遠の淑女として描いた。

 この説明が真実なら、ダンテってどんな人だったのだろうか?

 生涯思われたベアトリーチェって、幸せだったのかな?

 stalkerの和訳を調べてみたのだが、

stalker
【名】 ストーカー、こっそり追跡する人、(嫌がらせの電話をしたり・脅迫の手紙を送りつけたりして)しつこく嫌がらせをする人

 と有った。

 脅迫の手紙はまさか送り付けなかっただろうが、ダンテって、物凄く純情だったのか、ストーカータイプだったのかのどちらかかもしれないと思うのは私だけかな?

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