旅行・地域

September 13, 2009

蘇州、寒山寺

P1040954  蘇州観光で外せないものと言えば、寒山寺が筆頭に挙げられるだろう。

 錦渓の蓮池禅院もそうだが、中国の寺の外壁は黄色く塗られている。黄色は皇帝だけが身に着けることを許された色だが、皇帝が仏教を信仰したため、寺院への使用が許可されたそうだ。

P1040976  寒山寺では、大晦日、除夜の鐘をつく催しが1978年から行われており、日本からも大勢の観光客が詰め掛ける。

P1040963  文化大革命の時代(1960年代後半から1970年代前半)、マルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。空海も訪れたと言う古刹、寒山寺も例外ではなく、相当破壊されたようだが、1978年はもう除夜の鐘をつく催しが行われているとはちょっとした驚きだ。

P1040959  この寺は寒山・拾得の故事でも知られており、森鴎外も「寒山拾得」と言うタイトルの小説を書いている。

P1040953_3   寒山寺はまた、唐代(8世紀)の詩人、張継の七言絶句「楓橋夜泊」によっても知られている。

  月落鳥啼霜満天            
  江楓漁火対愁眠          
  姑蘇城外寒山寺   
  夜半鐘声至客船

月落ち烏啼き、霜天に満つ
江楓・漁火、愁眠に対す
姑蘇城外、寒山寺             
夜半の鐘声、客船に至る

P1040957 月は落ち、烏は鳴き、霜の降りる気配が空に満ちている。
長江の楓や、漁師の漁火が、眠れずにうつらうつらしている眼に映る。
蘇州郊外にある寒山寺の、
夜半を知らせる鐘の声が、私が宿泊している客船にまで聞こえてくる。

 詩の作者張継は、長安で科挙の試験を受けたが不合格となり、帰り道に寒山寺に立ち寄った。夜、楓橋近くの客船の中で眠れずにいると鐘の音が聞こえた、そのときの情景を詠んだものであるとされている。

 元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんあたりに朗読して頂いたらグッと来そうだな~。

September 10, 2009

蘇州、ナイトクルーズ

 無錫が「無錫旅情」なら、蘇州には「蘇州夜曲」と言う歌がある。~君がみ胸に 抱かれて聞くは夢の船唄 鳥の歌水の蘇州の 花散る春を惜しむか柳が すすり泣く~と、何ともロマンチックな歌だ。

 無錫同様、蘇州も、隋代以来の大運河、北京と杭州を結ぶ「京杭大運河」が通るなど水運が利用され古くから開けた都市である。

 歌のロマンチックなイメージとは裏腹に、無錫市は人口611万人、蘇州市は624万人の大都市だ。

P1040887_2  バスで観光地の点と点を結ぶように移動するだけだからあまり気付かないのだが、夜景を撮影した写真も、良く見ると背後には高層ビルが聳えているのが見える。

P1040886  上海の黄浦江でもナイトクルーズを楽しんだが、蘇州でもナイトクルーズのオプショナルツアーに申し込んでいた。船着場で、漁船を改造したような小さい観光船に乗り込むが、水位が高く危険だと言う事で窓は開けられない。

P1040903  春秋時代(紀元前770年―紀元前403年)蘇州には呉の都が置かていれP1040908_2た。長い歴史を持つ都市らしく、クルーズ船が通る運河には、呉門橋や盤門と言う歴史を感じさせる建物が再建されている。

 船で運河の夜景を楽しんだ後は、徒歩で山塘街を散策した。上海でも感じたが、夜景のイルミネーションは趣向が凝らされていて、統一的かつ徹底している。夜の方がずっと綺麗に見えるの違いない。
P1040906P1040919_2P1040921P1040925P1040927P1040942P1040920_3  

蘇州、留園

P1050034  蘇州は明代(1368年 - 1644年)に造られた古典園林で知られている。拙政園、留園、網師園、環秀山荘、獅子林などはユネスコの世界遺産に登録されているが、私たちが訪れたのはこのうちの「留園」。中国四大庭園のひとつに数えられている庭園だ。

P1050004  留園は16世紀半ばに太朴寺少卿徐秦時の私家庭園として造園されと言う。相当な資産家だったのだろう。

P1050021  お決まりの太湖石や建物の跳ね上がった軒もそれなりに趣があるとは思うが、それよりも興味P1050039_2を引かれたのはむしろ窓や床や瓦の意匠の方。

 例えば軒先に下がっている丸みを帯びた逆三角形の瓦はこうもりの象徴だと言う事だ。「蝙蝠 」

b i a n f u
には「福」
f u
の音が含まれるので縁起が良いのだそうだ。P1050022_2 そう言えば「福」を逆さにして玄関などに張るのも縁起かつぎの言葉遊びだったような・・・。中国人は「福」が好きだなぁ。

P1050019  この日、園内では明代の(と思われる)衣装に身を包んだ奏者による二胡やびわなどの演奏が行われていた。Photo

 

無錫

P1050015  錦渓を後にし、バスで無錫に向かう。中高年の日本人には、1986年に発売された尾形大作さんの「無錫旅情」で馴染みがある街である。ガイドさんも日本語版と中国語版で歌っていたが、YouTubeには尾形大作さん自らが歌う中国語版が有った。この歌、民間レベルでの日中友好に貢献しているのかもしれない。

P1050218  この地では中国の古典庭園に欠かせない「太湖石」とよばれる穴の多い石灰岩の石を産出する。蘇州の留園↑や上海の豫園→にも沢山の太湖石が使われていた。

P1040852_2  無錫はまた、呉(紀元前585年頃 - 紀元前473年)の発祥の地の一つと言われている。青銅器を作る時に銅に加えるスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市だったが、余りにも多く掘り過ぎて前漢ま(紀元前206年- 8P1040873 年)までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」と呼ばれるようになったという話が伝わっている。

 市の南部には太湖(2,250 km²)が広がっている。琵琶湖(670km²)の3倍以上の大きさだ。三国志の英雄(蜀の劉備や軍師諸葛亮、呉の孫権、魏の曹操など)名前が付けられた派手な太湖遊覧船は、中国人観光客や日本人観光客で賑わっていた。

P1040871  因みに我々が乗った船↑だが、手前に写っている旗→に「呉」と書いてあるのが読めるから「孫権号」だったのかな?

P1040837  無錫の観光コースに必ずといっていいほど入っているのが泥人形館。無錫の泥人形、恵山泥人形は400年ほどの歴史が有るそうだ。大勢の観光客の目に晒されながら毎日同じ作業を繰り返す泥人形職人さんたちの仕事は根気が要りそうな仕事だ。

P1040838_2  ところで・・・、妙に存在感の有るこの泥人形のモデルは・・いったい誰?

 

 

September 09, 2009

錦渓

 今日は、上海旅行2日目に行った錦渓の写真を紹介してみる。

P1040797  五保湖を渡るように古蓮池にかかる三亭橋。水墨画のようだ。

P1040798_2  
 この地は長い間「陳墓」と呼ばれていた。宋の時代、考帝の愛妃陳妃がこの村で病死し、考帝は愛妃をこの地で水葬にする。そして、湖に陳妃塚を築き、塚を守る為に蓮池禅院を建てたのだそうだ。

P1040829  蓮池禅院の前にズラッと並んで浮かんでいる小船に便乗して、運河を巡る。

P1040810  観光客の乗った小船が行き交う中、色白美人のお姉さんが野菜を洗っている。地元の人にとってはここは生活の場。運河は生活の中心なのだ。

P1040826_2  建物が迫った狭い運河を、女船頭さんは見事な腕前で船を漕いでいく。チップを払うと歌も歌ってくれる。

P1040816_3  錦渓は5000年の歴史があるといわれており、湖畔にある村は、主に明、清時代に建てられたものだそうだ。

 陳墓と呼ばれていた美しい水郷を保存しようと後に錦渓の名が付けられたとの事。

September 07, 2009

上海水郷めぐりの旅

 先月下旬上海方面に行ってきた。旅行の写真をアップしようと思いつつ、だらだらと日が過ぎてしまった。

P1050337_4    今日は、友人が住んでいる外国人向け高級マンションのベランダで撮った上海の旧租界地区、外灘(ワイタン)の写真を紹介してみる。

 旅行前にSLICの軽量で水準器付きの三脚を買って持って行ったのだが、親し友人とはいえ、「写真撮影にあまり時間がかかると宜しくない」と妙に気を使ってしまって、水準器の存在を失念。しかも夜景のイルミネーションのオートで撮影してしまった。「同じオートでもクリエイティブに設定してシャッタースピードを遅くしたらまた違った雰囲気の写真が撮れただろうに・・・」と反省してみるものの後の祭りと言う訳。

 水準器を使わなかったので角度が1~2度傾いていたのだが、角度調整が出来るフリーソフトを見つけたので調整してみた。折角三脚を持っていったのにあまりいい写真が撮れずに残念だったが、とりあえず写っただけでも良しとすべきか?

 外灘の雰囲気だけでも伝わるかな?

P1040761  上の写真に写っている川は黄浦江。青く光っている船は夜景クルーズの船だろう。別の日に夜景クルーズ船に乗って写真を撮ったのでそれもいくつか紹介してみる。

P1040716  オレンジ色の光に照らし出されたクラシカルな建物が並ぶのは外灘方面。王冠を頂いたようなイルミネーションが印象的だ。

P1040660_5 対岸の浦東(プードン)は、近代的な高層ビルが立ち並び、さながら未来都市。イルミネーションもカラフルだ。右端は東方明珠電視塔(467.9m)、アジア1位の高さを誇るテレビ塔だ。

Syannguhaihiruzu  上の写真の左手から3分の1位のところ、ビルの背後に写っている青いイルミネーションの高いビルは上海環状金融中心(492m)、日本人には上海ヒルズの名で知られている。下から見上げるとこんな感じ→。高過ぎてビルの形が良くわからない。

 100階部分に展望台があるが、先日世界一高い展望台としてギネスに認定されたばかりだ。因みに上海ヒルズの隣にはジンマオタワー(上海ヒルズの鏡面に映り込んでいるビルがそうだろう)というこちらも超高層ビル(高さ420.5m、88階)が聳えている。

P1050178 左は上海ヒルズの展望台の床に張っていあるガラス越しに見たジンマオタワー。右は展望台の窓越しに見た東方明珠電視塔。 500m近い超高層の建物が並んで立つP1050184様は上海な らではだろう。

January 14, 2009

連休中

Rimg2816_2   日光に行って来た。

 今回は奥日光の休暇村に宿泊。温泉を満喫した。詳細はおいおい紹介する事にして、とりあえず写真を少し載せてみる。
:

Img_0145  左は宿泊先の休暇村の玄関前。隣は日光湯元スキー場の駐車場と言うスキー客には絶好のロケーションだ。

Img_0144   こちらは部屋の窓から撮った写真。大木の向こうは湯の湖。凍結していて雪が積もっているので地面と見分けが付かない。静かだ。

 ここの休暇村のセールスポイントは、スキー場の隣と言うロケーションもそうだが、温泉も日光湯元温泉から引いた硫黄が入ったにごり湯。いかにも効きそうな温泉だ。
    :

Rimg2892  それに毎年利用していると言う宿泊客の人も言っていたが、料理が美味しい事。ちゃんとお品書きも添えられていて、他の休暇村と比べると一寸グレード感が有る料理だった。

Rimg2877_2  ついつい食べ過ぎて、帰ったらまた2k体重が増えていた。今週いっぱいかけて減らさないと・・・。

March 24, 2008

那須旅行:その1

Rimg0272  週末、休暇村那須に行って来た。

 東京から高速を使うと3時間半ほどの那須だが、今まで一度も行った事が無かった。

 年末に休暇村ファンの両親と一緒に休暇村阿蘇と休暇村指宿に泊ったのだが、休暇村はどこも素晴らしく景色がいいところに有るのを再認識した。今回の那須行きも、実は関東近辺の休暇村に泊ってみたくなったので企画したのだった。

Rimg0273  休暇村那須は湯元からさらに上り、那須岳の中腹に有るのだが、宿の周辺はまだ雪が積もっていた。(写真は部屋の窓から見た朝日岳)

 休暇村から少し下ったところに有る展望台で撮った写真をパノラマ合成してみた。

Nasu_panorama 

March 19, 2008

東京大空襲を見て

 昨日から2夜連続で「東京大空襲」と言う番組をやっていたので、で次男と二人で見た。

 取材を重ねて事実になるべく忠実に作られたフィクションのドラマのようだったが、見終わってから改めて昭和20年3月の東京大空襲について考えてみる気になった。

 日頃東京中歩き回っているので、今回のドラマで舞台になった言問橋の辺りも、橋を渡った事は無いがその周辺は結構知っている場所だ。

 3月10日の空襲で死亡したり行方不明になった人は10万人以上と言われているが、この人達を消失面積約41km²に均等に並べてみると41,000,000÷100,000=410 
一辺約20mの正方形の土地に一つ遺体が有る勘定になる。

 戦後の平和な東京は、犠牲者の累々たる遺体の上に築かれたのだのだ。

 今日、東京生まれの知人とその話をしていたら、彼女の母親も父親も東京大空襲を生き延びた人達のようであった。彼女のお父さんは火の見櫓の上に登って飛行機の進路を確認する仕事をしていたようだが、飛行機の中には「葛飾も忘れていないぞ」と、葛飾区の空襲を予告する垂れ幕のような物を付けた飛行機も有ったらしい。

 亀戸や両国で供養等を見た事が有ったが、今度言問橋を通る機会が有ったら、せめても犠牲者の方たちに手を合わせようと思う。 

 

January 06, 2008

九州横断特急

Img_0108  自覚しているいないは不明だが、私の母は、傍から見ると折り紙付きの「鉄子」である。
:

:
:

Rimg0065  今回、帰省のついでに両親と一緒に5泊6日の温泉旅行を楽しもうと言う事になり、急遽宿を取ったのだが、宿泊施設の予約と支払いは私、移動の計画と交通費の支払いは母と言う事になった。(宿代の方が高くなるという事で、結局一泊目の宿代は母が払ってくれた)

Rimg0078  1日目は空港から休暇村南阿蘇に直行して一泊、2日目、電車を乗り継いで休暇村指宿に2泊、4日目やはり電車で移動して竹田の国民宿舎直入荘に2泊した。
:

Rimg0067_2  空いていた宿の関係で、熊本空港→阿蘇→指宿→竹田→熊本と九州を縦に行ったり来たりする事となったのだのだが、隔世遺伝か?やはり筋金入りの「鉄」の次男のために、指宿から竹田に向かう途中、九州横断特急を使った。

 この列車、人吉→(肥薩線)八代→(鹿児島本線)熊本→(豊肥本線)大分→(日豊本線)別府に至るルートである。

Rimg0070  特急らしからぬ外観だが、中は木をふんだんに使った内装でかなり豪華な印象だ。九州新幹線もそうだが、九州横断特急の内装も高級感の有る木を使っていてなかなか良いな~。

Rimg0071  2週間ほど前、平塚に行く際東海道線の普通電車に乗って、その列車のスピードと停車駅間の距離の長さに感動してしまったのだが、九州横断特急は、特急と言っても停車駅が多く、それに田舎の在来線を走るのであまりスピードは出ない。東海道線の普通列車とどちらが速いかな??・・って感じだ。

Rimg0073  それに何しろ本数が少なくて今一使い勝手が良くないが、そこはローカル線、仕方が無いところかもしれない。そもそも人口3千万人の首都圏の列車と比べる事自体が間違いだろう。

 次男は九州新幹線「つばめ」や「リレーつばめ」、「いさぶろう、しんぺい号」、「なのはなデラックス」なんかも乗った事が有ると思うのだが、今度帰省したら「かもめ」、「ソニック」、「ゆふいんの森」にも挑戦してみるかな?

 今日紹介した写真は、上から、
1、南阿蘇鉄道の車両
2、今年の大河ドラマの篤姫を印刷したリレーつばめの車両
3、4、九州横断特急(外観)
5、九州横断特急の内部
6、九州横断特急から見た立野駅のホーム
7、立野駅のスイッチバックの線路

 

 

より以前の記事一覧

October 2018
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

天気予報

管理人にメールを出す


  • 下のAbot↓をクリックして下さい。 自己紹介欄にメールアドレス載せました。

低髄液圧症候群・脳脊髄液減少症・むち打ち