旅行・地域

September 13, 2009

蘇州、寒山寺

P1040954  蘇州観光で外せないものと言えば、寒山寺が筆頭に挙げられるだろう。

 錦渓の蓮池禅院もそうだが、中国の寺の外壁は黄色く塗られている。黄色は皇帝だけが身に着けることを許された色だが、皇帝が仏教を信仰したため、寺院への使用が許可されたそうだ。

P1040976  寒山寺では、大晦日、除夜の鐘をつく催しが1978年から行われており、日本からも大勢の観光客が詰め掛ける。

P1040963  文化大革命の時代(1960年代後半から1970年代前半)、マルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。空海も訪れたと言う古刹、寒山寺も例外ではなく、相当破壊されたようだが、1978年はもう除夜の鐘をつく催しが行われているとはちょっとした驚きだ。

P1040959  この寺は寒山・拾得の故事でも知られており、森鴎外も「寒山拾得」と言うタイトルの小説を書いている。

P1040953_3   寒山寺はまた、唐代(8世紀)の詩人、張継の七言絶句「楓橋夜泊」によっても知られている。

  月落鳥啼霜満天            
  江楓漁火対愁眠          
  姑蘇城外寒山寺   
  夜半鐘声至客船

月落ち烏啼き、霜天に満つ
江楓・漁火、愁眠に対す
姑蘇城外、寒山寺             
夜半の鐘声、客船に至る

P1040957 月は落ち、烏は鳴き、霜の降りる気配が空に満ちている。
長江の楓や、漁師の漁火が、眠れずにうつらうつらしている眼に映る。
蘇州郊外にある寒山寺の、
夜半を知らせる鐘の声が、私が宿泊している客船にまで聞こえてくる。

 詩の作者張継は、長安で科挙の試験を受けたが不合格となり、帰り道に寒山寺に立ち寄った。夜、楓橋近くの客船の中で眠れずにいると鐘の音が聞こえた、そのときの情景を詠んだものであるとされている。

 元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんあたりに朗読して頂いたらグッと来そうだな~。

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September 10, 2009

蘇州、ナイトクルーズ

 無錫が「無錫旅情」なら、蘇州には「蘇州夜曲」と言う歌がある。~君がみ胸に 抱かれて聞くは夢の船唄 鳥の歌水の蘇州の 花散る春を惜しむか柳が すすり泣く~と、何ともロマンチックな歌だ。

 無錫同様、蘇州も、隋代以来の大運河、北京と杭州を結ぶ「京杭大運河」が通るなど水運が利用され古くから開けた都市である。

 歌のロマンチックなイメージとは裏腹に、無錫市は人口611万人、蘇州市は624万人の大都市だ。

P1040887_2  バスで観光地の点と点を結ぶように移動するだけだからあまり気付かないのだが、夜景を撮影した写真も、良く見ると背後には高層ビルが聳えているのが見える。

P1040886  上海の黄浦江でもナイトクルーズを楽しんだが、蘇州でもナイトクルーズのオプショナルツアーに申し込んでいた。船着場で、漁船を改造したような小さい観光船に乗り込むが、水位が高く危険だと言う事で窓は開けられない。

P1040903  春秋時代(紀元前770年―紀元前403年)蘇州には呉の都が置かていれP1040908_2た。長い歴史を持つ都市らしく、クルーズ船が通る運河には、呉門橋や盤門と言う歴史を感じさせる建物が再建されている。

 船で運河の夜景を楽しんだ後は、徒歩で山塘街を散策した。上海でも感じたが、夜景のイルミネーションは趣向が凝らされていて、統一的かつ徹底している。夜の方がずっと綺麗に見えるの違いない。
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蘇州、留園

P1050034  蘇州は明代(1368年 - 1644年)に造られた古典園林で知られている。拙政園、留園、網師園、環秀山荘、獅子林などはユネスコの世界遺産に登録されているが、私たちが訪れたのはこのうちの「留園」。中国四大庭園のひとつに数えられている庭園だ。

P1050004  留園は16世紀半ばに太朴寺少卿徐秦時の私家庭園として造園されと言う。相当な資産家だったのだろう。

P1050021  お決まりの太湖石や建物の跳ね上がった軒もそれなりに趣があるとは思うが、それよりも興味P1050039_2を引かれたのはむしろ窓や床や瓦の意匠の方。

 例えば軒先に下がっている丸みを帯びた逆三角形の瓦はこうもりの象徴だと言う事だ。「蝙蝠 」

b i a n f u
には「福」
f u
の音が含まれるので縁起が良いのだそうだ。P1050022_2 そう言えば「福」を逆さにして玄関などに張るのも縁起かつぎの言葉遊びだったような・・・。中国人は「福」が好きだなぁ。

P1050019  この日、園内では明代の(と思われる)衣装に身を包んだ奏者による二胡やびわなどの演奏が行われていた。Photo

 

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無錫

P1050015  錦渓を後にし、バスで無錫に向かう。中高年の日本人には、1986年に発売された尾形大作さんの「無錫旅情」で馴染みがある街である。ガイドさんも日本語版と中国語版で歌っていたが、YouTubeには尾形大作さん自らが歌う中国語版が有った。この歌、民間レベルでの日中友好に貢献しているのかもしれない。

P1050218  この地では中国の古典庭園に欠かせない「太湖石」とよばれる穴の多い石灰岩の石を産出する。蘇州の留園↑や上海の豫園→にも沢山の太湖石が使われていた。

P1040852_2  無錫はまた、呉(紀元前585年頃 - 紀元前473年)の発祥の地の一つと言われている。青銅器を作る時に銅に加えるスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市だったが、余りにも多く掘り過ぎて前漢ま(紀元前206年- 8P1040873 年)までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」と呼ばれるようになったという話が伝わっている。

 市の南部には太湖(2,250 km²)が広がっている。琵琶湖(670km²)の3倍以上の大きさだ。三国志の英雄(蜀の劉備や軍師諸葛亮、呉の孫権、魏の曹操など)名前が付けられた派手な太湖遊覧船は、中国人観光客や日本人観光客で賑わっていた。

P1040871  因みに我々が乗った船↑だが、手前に写っている旗→に「呉」と書いてあるのが読めるから「孫権号」だったのかな?

P1040837  無錫の観光コースに必ずといっていいほど入っているのが泥人形館。無錫の泥人形、恵山泥人形は400年ほどの歴史が有るそうだ。大勢の観光客の目に晒されながら毎日同じ作業を繰り返す泥人形職人さんたちの仕事は根気が要りそうな仕事だ。

P1040838_2  ところで・・・、妙に存在感の有るこの泥人形のモデルは・・いったい誰?

 

 

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September 09, 2009

錦渓

 今日は、上海旅行2日目に行った錦渓の写真を紹介してみる。

P1040797  五保湖を渡るように古蓮池にかかる三亭橋。水墨画のようだ。

P1040798_2  
 この地は長い間「陳墓」と呼ばれていた。宋の時代、考帝の愛妃陳妃がこの村で病死し、考帝は愛妃をこの地で水葬にする。そして、湖に陳妃塚を築き、塚を守る為に蓮池禅院を建てたのだそうだ。

P1040829  蓮池禅院の前にズラッと並んで浮かんでいる小船に便乗して、運河を巡る。

P1040810  観光客の乗った小船が行き交う中、色白美人のお姉さんが野菜を洗っている。地元の人にとってはここは生活の場。運河は生活の中心なのだ。

P1040826_2  建物が迫った狭い運河を、女船頭さんは見事な腕前で船を漕いでいく。チップを払うと歌も歌ってくれる。

P1040816_3  錦渓は5000年の歴史があるといわれており、湖畔にある村は、主に明、清時代に建てられたものだそうだ。

 陳墓と呼ばれていた美しい水郷を保存しようと後に錦渓の名が付けられたとの事。

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September 07, 2009

上海水郷めぐりの旅

 先月下旬上海方面に行ってきた。旅行の写真をアップしようと思いつつ、だらだらと日が過ぎてしまった。

P1050337_4    今日は、友人が住んでいる外国人向け高級マンションのベランダで撮った上海の旧租界地区、外灘(ワイタン)の写真を紹介してみる。

 旅行前にSLICの軽量で水準器付きの三脚を買って持って行ったのだが、親し友人とはいえ、「写真撮影にあまり時間がかかると宜しくない」と妙に気を使ってしまって、水準器の存在を失念。しかも夜景のイルミネーションのオートで撮影してしまった。「同じオートでもクリエイティブに設定してシャッタースピードを遅くしたらまた違った雰囲気の写真が撮れただろうに・・・」と反省してみるものの後の祭りと言う訳。

 水準器を使わなかったので角度が1~2度傾いていたのだが、角度調整が出来るフリーソフトを見つけたので調整してみた。折角三脚を持っていったのにあまりいい写真が撮れずに残念だったが、とりあえず写っただけでも良しとすべきか?

 外灘の雰囲気だけでも伝わるかな?

P1040761  上の写真に写っている川は黄浦江。青く光っている船は夜景クルーズの船だろう。別の日に夜景クルーズ船に乗って写真を撮ったのでそれもいくつか紹介してみる。

P1040716  オレンジ色の光に照らし出されたクラシカルな建物が並ぶのは外灘方面。王冠を頂いたようなイルミネーションが印象的だ。

P1040660_5 対岸の浦東(プードン)は、近代的な高層ビルが立ち並び、さながら未来都市。イルミネーションもカラフルだ。右端は東方明珠電視塔(467.9m)、アジア1位の高さを誇るテレビ塔だ。

Syannguhaihiruzu  上の写真の左手から3分の1位のところ、ビルの背後に写っている青いイルミネーションの高いビルは上海環状金融中心(492m)、日本人には上海ヒルズの名で知られている。下から見上げるとこんな感じ→。高過ぎてビルの形が良くわからない。

 100階部分に展望台があるが、先日世界一高い展望台としてギネスに認定されたばかりだ。因みに上海ヒルズの隣にはジンマオタワー(上海ヒルズの鏡面に映り込んでいるビルがそうだろう)というこちらも超高層ビル(高さ420.5m、88階)が聳えている。

P1050178 左は上海ヒルズの展望台の床に張っていあるガラス越しに見たジンマオタワー。右は展望台の窓越しに見た東方明珠電視塔。 500m近い超高層の建物が並んで立つP1050184様は上海な らではだろう。

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January 14, 2009

連休中

Rimg2816_2   日光に行って来た。

 今回は奥日光の休暇村に宿泊。温泉を満喫した。詳細はおいおい紹介する事にして、とりあえず写真を少し載せてみる。
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Img_0145  左は宿泊先の休暇村の玄関前。隣は日光湯元スキー場の駐車場と言うスキー客には絶好のロケーションだ。

Img_0144   こちらは部屋の窓から撮った写真。大木の向こうは湯の湖。凍結していて雪が積もっているので地面と見分けが付かない。静かだ。

 ここの休暇村のセールスポイントは、スキー場の隣と言うロケーションもそうだが、温泉も日光湯元温泉から引いた硫黄が入ったにごり湯。いかにも効きそうな温泉だ。
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Rimg2892  それに毎年利用していると言う宿泊客の人も言っていたが、料理が美味しい事。ちゃんとお品書きも添えられていて、他の休暇村と比べると一寸グレード感が有る料理だった。

Rimg2877_2  ついつい食べ過ぎて、帰ったらまた2k体重が増えていた。今週いっぱいかけて減らさないと・・・。

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March 24, 2008

那須旅行:その1

Rimg0272  週末、休暇村那須に行って来た。

 東京から高速を使うと3時間半ほどの那須だが、今まで一度も行った事が無かった。

 年末に休暇村ファンの両親と一緒に休暇村阿蘇と休暇村指宿に泊ったのだが、休暇村はどこも素晴らしく景色がいいところに有るのを再認識した。今回の那須行きも、実は関東近辺の休暇村に泊ってみたくなったので企画したのだった。

Rimg0273  休暇村那須は湯元からさらに上り、那須岳の中腹に有るのだが、宿の周辺はまだ雪が積もっていた。(写真は部屋の窓から見た朝日岳)

 休暇村から少し下ったところに有る展望台で撮った写真をパノラマ合成してみた。

Nasu_panorama 

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March 19, 2008

東京大空襲を見て

 昨日から2夜連続で「東京大空襲」と言う番組をやっていたので、で次男と二人で見た。

 取材を重ねて事実になるべく忠実に作られたフィクションのドラマのようだったが、見終わってから改めて昭和20年3月の東京大空襲について考えてみる気になった。

 日頃東京中歩き回っているので、今回のドラマで舞台になった言問橋の辺りも、橋を渡った事は無いがその周辺は結構知っている場所だ。

 3月10日の空襲で死亡したり行方不明になった人は10万人以上と言われているが、この人達を消失面積約41km²に均等に並べてみると41,000,000÷100,000=410 
一辺約20mの正方形の土地に一つ遺体が有る勘定になる。

 戦後の平和な東京は、犠牲者の累々たる遺体の上に築かれたのだのだ。

 今日、東京生まれの知人とその話をしていたら、彼女の母親も父親も東京大空襲を生き延びた人達のようであった。彼女のお父さんは火の見櫓の上に登って飛行機の進路を確認する仕事をしていたようだが、飛行機の中には「葛飾も忘れていないぞ」と、葛飾区の空襲を予告する垂れ幕のような物を付けた飛行機も有ったらしい。

 亀戸や両国で供養等を見た事が有ったが、今度言問橋を通る機会が有ったら、せめても犠牲者の方たちに手を合わせようと思う。 

 

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January 06, 2008

九州横断特急

Img_0108  自覚しているいないは不明だが、私の母は、傍から見ると折り紙付きの「鉄子」である。
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Rimg0065  今回、帰省のついでに両親と一緒に5泊6日の温泉旅行を楽しもうと言う事になり、急遽宿を取ったのだが、宿泊施設の予約と支払いは私、移動の計画と交通費の支払いは母と言う事になった。(宿代の方が高くなるという事で、結局一泊目の宿代は母が払ってくれた)

Rimg0078  1日目は空港から休暇村南阿蘇に直行して一泊、2日目、電車を乗り継いで休暇村指宿に2泊、4日目やはり電車で移動して竹田の国民宿舎直入荘に2泊した。
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Rimg0067_2  空いていた宿の関係で、熊本空港→阿蘇→指宿→竹田→熊本と九州を縦に行ったり来たりする事となったのだのだが、隔世遺伝か?やはり筋金入りの「鉄」の次男のために、指宿から竹田に向かう途中、九州横断特急を使った。

 この列車、人吉→(肥薩線)八代→(鹿児島本線)熊本→(豊肥本線)大分→(日豊本線)別府に至るルートである。

Rimg0070  特急らしからぬ外観だが、中は木をふんだんに使った内装でかなり豪華な印象だ。九州新幹線もそうだが、九州横断特急の内装も高級感の有る木を使っていてなかなか良いな~。

Rimg0071  2週間ほど前、平塚に行く際東海道線の普通電車に乗って、その列車のスピードと停車駅間の距離の長さに感動してしまったのだが、九州横断特急は、特急と言っても停車駅が多く、それに田舎の在来線を走るのであまりスピードは出ない。東海道線の普通列車とどちらが速いかな??・・って感じだ。

Rimg0073  それに何しろ本数が少なくて今一使い勝手が良くないが、そこはローカル線、仕方が無いところかもしれない。そもそも人口3千万人の首都圏の列車と比べる事自体が間違いだろう。

 次男は九州新幹線「つばめ」や「リレーつばめ」、「いさぶろう、しんぺい号」、「なのはなデラックス」なんかも乗った事が有ると思うのだが、今度帰省したら「かもめ」、「ソニック」、「ゆふいんの森」にも挑戦してみるかな?

 今日紹介した写真は、上から、
1、南阿蘇鉄道の車両
2、今年の大河ドラマの篤姫を印刷したリレーつばめの車両
3、4、九州横断特急(外観)
5、九州横断特急の内部
6、九州横断特急から見た立野駅のホーム
7、立野駅のスイッチバックの線路

 

 

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January 03, 2008

九州温泉旅行

Img_0004  年末年始の休みを利用して九州に帰省してきた。
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Img_0007  今回は夫のJALのマイル消化を兼ねていたのだが、ただ帰省してもつまらないので実家の両親と一緒にあちこちの温泉をはしごして来た。
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Img_0040  先ず初日は空港から近い休暇村南阿蘇に一泊。休暇村はどこも大変眺めの良い場所に有るようだがここからの阿蘇山の眺めはとても素晴らしい。写真はロビーから見える阿蘇。(2日のブログにパノラマ合成した写真を載せてみた)

Rimg0034  左の写真は露天風呂から見える景色。すぐ近くに温泉施設も有るのだが、休暇村自体も最近温泉を掘ったらしく、風呂も温泉になった。
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Img_0102  こちらは朝焼けに染まる根子岳。時刻や天候によって刻々とその色を変える阿蘇の姿はとても美しい。まるでモネの風景画を見ているようだ。ロビーや露天風呂だけでなく食堂や部屋からもこの素晴らしい景色を見ることが出来る。

 

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September 24, 2007

富士五湖

Rimg0226  土曜日、塾が終わった次男を車で拾って、2泊3日で富士五湖方面に行ってきた。

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Rimg0276 写真は今回の宿。一応区の保養所だが、在住や在勤でない者も低料金で泊ることができる。

 和室や洋室、和洋室、コテージなどを選択出来、食事も和食と洋食を朝食、夕食それぞれに選択できるフレキシブルな宿で、富士屋ホテルに管理委託されているのでサービスも行き届いている。内容の割りに料金も安く超お勧めの宿だ。

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:Rimg0273_10 Rimg0262_12 Rimg0222_5 :
 
到着が何時になるか分からなかったので、一泊目の夕ご飯は頼まなかったが、2日目は洋食を頼んで、久し振りにフランス料理のコース料理を堪能した。美味かった。

Rimg0277  窓の外は富士の樹海の続きのような森だし(事実青木ヶ原の端に位置するようだ)、景色も最高。

 これから紅葉の時期にかけてはさらに美しいに違いない。

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June 25, 2007

熱海旅行:3日目

350  当初の予定では、この日に初島に行く筈だったのだが、この日は朝から生憎の雨。

 結局初島行きはまたの機会にと言う事にして、この日も湯~遊~バスに乗って昨日行けなかった所を回ってみることにした。

329  保養所をチェックアウトしてタクシーで熱海駅に行き、一旦荷物をコインロッカーに預けてからうろうろする事にして、熱海駅前から湯~遊~バスに乗り熱海城に。

 小田原城は有名だけど熱海城って言うのは聞いた事が無いと思ったら、それもその筈、このお城昭和34年に築城された、昭和の城なのだ。「小田原北条氏の歴代の名将たちが水軍の根拠地として築城を希望しながら果たし得なかった」と城の説明に有る通り、山城の立地条件に331 適う攻め辛いお城と言えそうだが、何しろ時は昭和の時代だから、攻めにくい立地条件が災いして、これまで観光客もあまり訪れなかったんじゃないかな?ロープウエイで後楽園から上ってくる事が出来るのだが、通常のバス路線は熱海城に行く物は無いようである。

 湯~遊~バスが出来てから、熱海城も路線に組み込まれ、今は大分行きやすくなったようだ。

Photo_12

 熱海城は眺めは抜群だが、城内の展示はいかにも古臭い感じが否めない。築城から半世紀近く経っているから当然と言えば当然なのかもしれないが、そろそろ若い人のアイディア でも募集して、展示の見直しをしたら良いのではと思うのだが・・・。特に4階の「世界遺産のパネル展」は、熱海城とどういう関わりが有るのか理解に苦しみ、素通りしてしまった。

332_1  このお城で面白いと思ったのは、浮世絵の秘画館。「18禁」と言えば大体察しが付くだろうが、春画のコーナーである。記憶がおぼろげだが、アクリルか何かのパネルに印刷した浮世絵に後ろから光を当てたような物の展示だと思ったが、それでも浮世絵の春画を初めて見て、非常に感慨深い物が有った。

 デッサンが崩れてバランスが悪い手足の絡まり合いが、逆に、絵師やそれを見て喜んだであろう江戸時代の人々のエネルギーを感じさせ、何とも言えず不思議な感覚を持った。

 その後、隣の人形美術館でビスクドールを見てから、アカオハーブ&ローズガーデンに。

433  バラの最盛期にはガーデンチャペルで毎週末結婚式が行われたようだ。

 ここでは、お勧めのバラのアイスクリームを食べて、ハーブ石鹸作りとハーブのオーデコロン作りに挑戦した。

441  ハーブのオーデコロンは我ながらまずまずの出来。香りがあまりきつくないので、これから汗ばむ季節愛用する事にしよう。

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461  その後間欠泉を見てから駅で温泉饅頭などを仕入れ、行きと同様新幹線で東京へと帰った。

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June 24, 2007

熱海旅行:2日目

149_2   熱海旅行2日目、この日も天気に恵まれて、なかなかの観光日和だった。

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111_1  初島に行く事なども考えたが、 「湯~遊~バス」と言う観光バスが東海バスから出ていて、一日乗車券800円(子供400円)で何度でも乗り降り出来ると言うので、今日はそのバスに乗って観光することにした。

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110  保養所の近くの湯~遊~バスのバス停、「起雲閣」まで行って、先ずは「起雲閣」観光。

 起雲閣はもともと内田汽船の創設者で海運王と呼ばれた内田信也氏の別荘として、1919年に建てられた。

075_1  その後、1925年に、東武鉄道の社長で鉄道王と呼ばれた 根津嘉一郎氏に所有が移り、1945年に、金沢の湯涌温泉でホテルを経営していた衆議院議員桜井兵五郎氏が取得し、旅館(起雲閣)として開業した。

102_1  部屋毎にカラフルな色あいのモダンな壁が印象的な建物だが、旅館として改装された時に塗り替えられたようだから金沢風の色合いが濃い建物と言えるのだろう。

087_2  「起雲閣」の名前は旅館時代に付けられた物で、多くの著名な文豪や名士が宿泊した事で有名な旅館であったようだ。

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085  旅館が廃業となり、1999(平成11)年競売物件となり、建物を取り壊してマンションを建てる計画なども有ったようだが、市民運動等により保存の機運が高まり、2000年に熱海市が買い取り一般公開を始めたようだ。

103  大正・昭和の懐かしい空気を感じられる建物で、数多くの文豪がこの建物で執筆活動をしたようすが目に浮かぶようだった。

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130  起雲閣を後にして、次は1日目夜にタクシーの運転手さんに案内してもらった「来宮神社」に。この日は日曜日とあって、折りしも結婚式が行われるところだった。

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148_1  その後再びバスに乗って「池田万寿夫邸」に。氏の画集は一冊持っている。「エーゲ海に捧ぐ」などの映画のイメージが濃いので、「愛とエロスの芸術家」という印象を持っている人が多いのではと思うが、個人的にはなかなか良い作品を残していると思う。氏の「創作の家」は、まだ、池田万寿夫と佐藤陽子両氏が住んでいるかのような不思議な雰囲気だった。

145  オークトリア製と言うトイレが印象的だった。これは長くヨーロッパに住んでいた、佐藤陽子さんの趣味なのかな?

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200  「池田万寿夫 創作の家」で、タイルなどをお土産に買い、次はMOA美術館に。

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156  MOA美術館は以前一度行った事が有ったが、その時は車で行ったのでエスカレーターには乗らなかったのかな?今回は下のバス停から長いエスカレータに乗って正面玄関に。

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158_1  最近出来た美術館は、(例えば国立新美術館など も)地下鉄の駅から美術館に続く道が、既に「美術館へと続くプロムナード」と言った演出がされている事が多いが、MOA美術館の本館へと続くこのエスカレータも、次々と天井の色が変わり、幻想的な演出となっている。

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180_1  エスカレーター入り口にボランティアガイドの人がいたので、ガイドを頼み、ヘンリー・ムーアの彫刻や、ジベルニーのモネの家の睡蓮の池に有る物を株分けして持ってきたという睡蓮がある池を見てから館内を見学した。

176  館内では「華麗なるアール・ヌーヴォー アール・デコの世界」展をやっていた。

 所蔵品の中にはモネの「睡蓮」や「ポプラ並木」が有り、並べて置かれていた。

185_3187_3     
 絵画類の所蔵品は写真撮影禁止だったが、能舞台や秀吉の茶室(復元)は写真を撮っても良いということで、何枚か写真を撮った。

 MOA美術館で印象的だったのは、重文クラスの仏像類の保存状態の良さだ。古いものにも拘らず、表面に張られた金箔が剥げずに残っている物が多かった。館の創立者である岡田茂吉氏は仏像のコレクションに特に熱心だったのではないだろうか。

219  MOA美術館を見てから、源頼朝に縁が深いと伝えられる「伊豆山神社」に参拝してから、神社から走り湯まで続く役800段の石段を一気に降りて「走り湯」へ。

223  走り湯は日本三代古泉の一つで、走るがごとくお湯が湧き出し海へ注いでいたため、走り湯と呼ばれるようになったと伝えられている。「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠んだように明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていたようだ。

 お湯が噴出す洞窟に入ってみたが、ムッと熱気を感じで水蒸気が凄い。呼吸器系が弱い人はこの温泉で鼻呼吸をすると治療効果が有るらしい。

242  バスの発車時間まで時間が有ったので、バスのボランティアガイドさんが走り湯の洞窟内を案内をしてくれた。お湯をなめてみるように言われなめてみたのだが、70度と言うから結構熱い温泉は塩辛い味がした。

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243  走り湯の上には、小さい神社が祭られていた。伊豆山神社も、もともとは走湯社とも呼ばれていたようだが、昔は山にも海にも温泉にさえ神が宿っていたのだ。

 

 

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June 20, 2007

熱海旅行:1日目続き

 昨日書き忘れたが、1日目の夜に「梅園」に蛍を見に行った。

 私は小学生の頃、大野川沿いに住んでいた事が有るのだが、夏の遊びはもっぱら川遊びと蛍狩りだった。

 あの頃はうちわを持って虫かごに50匹ぐらい取って帰っただろうか?捕まえた蛍は部屋を真っ暗くして放したりしていた。蛍はそれぐらい普通にいたのだが、熱海の梅園で見た蛍は、幼虫を放流しているようだった。

116_1  帰りにタクシーの運転手さんに頼んで来宮(きのみや)神社に寄って貰ったのだが、樹齢2000年とも言われる楠が見事だった。タクシーの運転手さん曰く、「昼見ると良く分かるんだけど、木の幹に○○○○が有るんですよ」との事。

124_3  翌日昼間、もう一度来宮神社に寄って撮影した写真が左と下の写真。

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June 19, 2007

熱海旅行:1日目

013   先週末から2泊3日の行程で熱海に行ってきた。

 東京~熱海間は、新幹線こだまを使うと50分で行ける。運賃も自由席の特急券込みで、片道3570円である。近くて安い、大変便利な行楽地だ。

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 今回の宿泊先は保養所。 モダンな建物だがいつ頃建てられた物なのだろう?

021 以前、草津でリロクラブを使って泊った時もそうだったが、最近の保養所系の建物はこの手のモダンな建物が多い。 下手に和風建築を建てようと思うと、返って高くつくのだろう。

 食事も丁度良い量で、ちゃんとした板前さんが作っているらしく、味の方もなかなか美味しいかった。

300_1  次男の小学校が終わってから出かけたので、宿に着いたのはぎりぎり食事の時間だった。

 お風呂に塩素殺菌用の錠剤が入っていたから、残念ながら 循環式の温泉なのだろうが、とにかく温泉に浸かってさっぱりして明日からの観光に備えた。

 

 

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March 28, 2007

草津温泉旅行 1日目

Img_2589 日曜日から草津温泉に行ってきた。東京地方は梅の花はもう散って、今週末は桜が見ごろの様だが、高速を降りたらインターチェンジ脇の梅の花が満開だった。やっぱり大分標高が高いんだな~。

Img_2593  高速のインターから国道を草津方面に向かうと、左手に榛名山が見えてきた。「ところでどれが榛名山だろう?」って、皆で言っていたのだが、帰りに榛名山にも寄ってみることにして、今日はとりあえず宿に向かった。

Img_2664  泊った宿はリフレッツ草津。温泉宿と言うにはモダン過ぎるが、ベルツ通りに面している静かな宿だ。

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Img_2620_1   部屋は和室で、トイレとシャワー付き。部屋食でなく食事はレストランで、また布団を敷いたりするのは自分でする所謂保養所タイプの宿だが、係りの人に気を使ったりしなくて済むので、家族連れには反ってありがたい。

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Img_2621 窓からはベルツ通りが見える。街路樹がとても美しい。

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Img_2633  大浴場は内風呂の大きい窓の外に露天風呂が有る造り。だが待てよ・・・。すぐ隣に有るにもかかわらず、内風呂と露天風呂では何だか泉質が違うみたいだ・・。

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Img_2631 女性用の大浴場は、左の写真の内風呂の湯の出口のすぐそばには硫黄分を含んだ黄色い湯の花が沢山付いているが、露天風呂は石造りの浴槽や湯の出口に緑色の苔のようなものが付着している透明なお湯だ。

Img_2632 夕食後と言うことも有って、お風呂には私以外には誰も居なかった。硫黄の色をした湯の花がいかにも効きそうな内風呂と、雑木林に囲まれた静かな露天風呂を堪能した。朝方降っていた雨も止んで綺麗に晴れ上がった空には、月と星が輝いていた。

Img_2642_1Img_2643_1:

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: 風呂の入り口の扉に泉質を証明する張り紙が二つ有った。それによると一つは万代鉱から、もう一つはわたの湯からおお湯を引いているらしかった。流石は草津だ。

 草津の泉源についてはこちらに詳しい詳しく紹介されている。

 舞茸の天ぷら等が付いたおいしい食事と広々とした温泉を満喫して、部屋でゴロゴロ。「お医者様でも草津の湯でも恋の病は治りゃせぬ」って言うが、頭痛には効くのかな~?(笑) 実は今月14日頃から片頭痛がまたもや復活して、夕方から夜にかけて疲れてくると必ずと言っていいほど頭が痛くなるのだ。

 片頭痛の治療薬ゾーミッグRM錠とプレドニンは忘れたらマジで死にそうになるので流石に持って来たのだが、今回は迂闊にも必需品の湿布を忘れてきてしまった。夜は背中の痛みに耐えながら、それでも何とか眠りについた。

 

 

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March 24, 2007

さよなら鹿島鉄道

2007318_082_22007318_083_32007318_086_32007318_088_12007318_089_22007318_090_22007318_0922007318_0932007318_0942007318_0952007318_0962007318_0982007318_1002007318_1022007318_1032007318_1102007318_1112007318_1122007318_1152007318_1172007318_1182007318_101_2   かつてそこに確かに在ったものへの餞に

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February 24, 2007

江戸・東京探訪:浅草

 今日は、浅草演芸ホールに行って来た。以前前を通った事があり、一度入ってみたいと思っていたのだが、先日湯島天神に寄った帰りに、御徒町の金券屋で入場招待券を格安で手に入れることが出来たのだ。

 入場券は定価で買うと2500円だが、朝から晩までその気になればずっと聞けるから、落語や漫才が好きな方には定価でも安いかもしれない。

 ここの招待券、でも多分新聞の景品かなんかで出回っているんじゃないかな?ヤフーオークションで見てみたら、出品している人がいたから、わざわざ金券屋で探さなくても、買えるようだ。

 私は、開演を少し過ぎた頃に着いたのだが、空席が結構有るにも拘らず全部予約席で、座れる席は全く空いていなかった。結局立ち見となったのだが、途中で入った中年の夫婦連れ(?)が「今日は混んでいるから二階に行こうか」と行っているのを聞いて、その後2階に移動した。

 2階に行ったら混んでいる理由の一つがわかった。中学生の団体が席を予約していたのだ。

 椅子の席には最後まで座れず、いささか疲労困憊気味だったが、それでも結局仲入りまで見て、晴乃ピーチクさんの似顔絵漫談などを楽しんで帰った。ピーチクさん、御年81歳だそうだが、何時までもお元気だなぁ。

 浅草演芸ホールを出た後は、仲見世通りをたっぷりと冷やかして帰った。

Img_2350  私はリサイクル着物・帯の店で色々物色したり、和紙の店で張子のねずみや(来年の干支:鬼が笑うか・・)ミニ色紙、和紙の色紙、文楽の葉書などを購入したのだが、途中の土産物屋で、フランス人らしいグループの一人が、素晴らしい木版画を購入していた。

Edomeisyohyakkei_kaminarimon_1   この木版画、歌川広重の名所江戸百景の浅草金龍山だが、実際に木版で刷られた作品は、オリジナルではないにしろとても美しかった。

 オリジナルは、もっと素晴らしいのだろう。浮世絵は展覧会が結構開かれていそうだから、今度見に行ってみるかな~。

Img_2347  この浮世絵の複製画は高過ぎるし、第一飾るところが無いので、代わりに和紙の店で、文楽人形の頭をデザインした版画っぽい絵葉書を2枚購入した。こちらは早いところジョイフルホンダにでも行って、適当な額を調達してマットを切ってもらい、額装してしまった方がいいだろう。

 雷門前には人力車を曳くお兄さん達が、雨にも拘らず傘も差さずに立っていた。「あの仕事は若くて体が丈夫じゃないと絶対に出来ないだろうな~」と思いながら、一生懸命下手糞な英語で外人のお客にガイドをしている車夫のお兄さんの側を通り過ぎた。

 車夫のお兄さん達の、鍛えられた、芸術的とも言える体つきを鑑賞しながら帰ったのだが、最近の若い人は背が高くて足が長い人が多いから、昔の本物の車夫とは大分体型が違うんだろうなぁ。

 81歳で頑張る晴乃ピーチクさんと、雨の中でも休めない車夫のお兄さん達を見ていたら、浅草という特別な街に充満している、一種の哀愁みたいな物を感じてしまい、帰りはとても寂しい気分になってしまった。

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February 05, 2007

北京旅行:その11 景山公園

293  天安門広場から故宮の中軸線状を南北に突っ切って門を抜けると、北側に景山公園が見える。

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294  ここには元代には皇室の御苑があったが、永楽帝が明代に紫禁城を作った時、堀を掘った時の残土でこの場所に山が造られたられたようだ。

298  風水では北から邪気がやってくると信じられており、邪気から紫禁城を守るために、紫禁城の北側に有るこの場所に山が造られたといわれている。

 この山、明代には万寿山の名で呼ばれていたが、清の順治12年(1655年)に改名し、景山と呼ばれるようになった。

299 明・清代は皇帝の庭園として使われており、東南の 山麓には明代最後の皇帝、崇禎帝(すうていてい)が李自成軍に攻められたとき首吊り自殺をした槐(えんじゅ)の木がある。

301 現在は公園として一般に開放されている景山公園、地元の人のためには入場定期券も発行されているようだ。

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302  私達が行った日も、大変寒い日だったにも関わらず、踊りの練習をする人や水で敷石の上に書を書く人等で賑わっていた。

304  踊りをしている人たちの脇には牡丹園も有った。牡丹の季節(4~5月だろうか?)は一際美しいに違いない。

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307  私達のグループは踊りを踊っている人たちの脇を通り、牡丹園の奥に有る建物に入った。この建物もなにやら謂れが有りそうな古そうな建物である。表に御苑茶藝と書かれた木の看板があった。

309_1  ここでは、チャイナ服を着たお姉さんに中国茶の種類や入れ方などを教わり、色々な種類のお茶を飲んだ。かび臭さの少ないまろやかな味のプーアール茶や甘みの有るライチ茶など、美味しいお茶も沢山有ったのだが、中国茶は頂き物が沢山残っていたので結局ここでは買わなかった。

311_1  色々なお茶の中では、お湯を注ぐと牡丹の花のような形に開くお茶がとても美しかった。茶葉が開く様子が良く見えるようにガラス製の透明な急須を使っていたのだが、その急須に日本語で「手づくり」と書いてあるシールが張ったままになっているのがおかしかった。

Img_2269  ここで紹介されたションベン小僧、高さ7~8cmほどの素焼きのお人形を暫く水の中につけておき、水から出して熱湯をかけると勢いよくションベンをするというもので、お茶のおまけとしてお茶を買った人が貰えるようになっていた。息子が欲しがり、結局後で行った別の土産屋で中国茶とセットで買わされてしまった(泣)。

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日本橋老舗めぐり:その1 山本山

Img_2231  今日は日本橋の老舗の一つ、山本山を紹介してみる。

 山本山は、1690年創業。創業者は山本嘉兵衛、そして現在の取締役社長の名前も、山本嘉兵衛 氏である。商品の中に9代目商品と言うのがあるから、現在の社長さんは9代目の山本嘉兵衛なのだろう。

Yamamotoyama  左の浮世絵は山本山を描いたものであるが、暖簾の字が面白い。山本の下に印が有り、その下に嘉兵衛のの字が書いてある。「山本∧」で「山本山」と読ませるのであろう。

 山本山創業の1690年は元禄3年である。暖簾一つにも元禄時代の遊び心が反映されている。

Img_2237  日本橋は江戸文化と関係が深い場所であるが、日本橋のすぐ側の横丁は「木原店」(きわらだな)といって明治、大正、昭和の初期まで、「食傷新道」として栄えたところである。夏目漱石の「こころ」や志賀直哉の「暗夜行路」に主人公が食事に寄ったことが書いてある。

こころ下17 より

奥さんは私に対するお礼に何かご馳走するといって、木原店という寄席のある狭い横丁へ私を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食わせる家も狭いものでした

Img_2240 たまたま私が行った日も、江戸時代の町人の扮装をした若いタレントさんがテレビロケを行っているところだった。

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Img_2245  海苔とお茶で有名な山本山だが、日本橋の本店前にはお茶とお菓子のセットの見本が入ったショーケースが並べられている。そう、このお店、店内で美味しいお茶とお菓子をいただけるようになっているのだ。

Img_2247  日本橋と言うロケーションなので高いかと思いきや・・・、例えば磯部巻と煎茶のセットで300円、100円追加すると磯部巻や煎茶のおかわりが出来るという格安の値段設定だ。

Img_2248_1  私も、美味しかったのでついついダイエットを忘れておかわりを注文してしまった。山本山の海苔とお茶を使った磯部巻(2個)と煎茶を頂いた。磯部巻2個と煎茶を数杯頂いて300円+100円(磯辺巻のおかわり代)=400円はとっても安い。

 このお店小腹が空いた時にお邪魔するのにお勧めの一軒である。

 

 

 

 

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February 04, 2007

北京旅行:その10 紫禁城(故宮)

Sikinjyo3_1  今日は北京の紫禁城の写真を紹介してみる。写真はGoogle Earthで上空から見た紫禁城。一番下、中央に写っているのが天安門である。

 私達が突っ切った中軸線状には殆ど緑が無いが、それ以外の場所には結構木が植えられている。

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275_1 ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」は紫禁城を貸し切ってロケが行われたそうだが、紫禁城に行った事がなくても、映画やテレビで見た事があるという人は多いと思う。

277_1  このお城、元がつくったものを明の永楽帝が改修したものである。永楽帝が1421年に都を南京から北京に遷都してから清朝滅亡まで、約500年もの間宮殿として使われてきたようだ。

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292_1  溥儀以下、清の皇族が退去した後は1925年から博物館として使われている。

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252_1  故宮には沢山の門が有る。昨日紹介した天安門は、明代には「承天門」と呼ばれており、法令の公布されるところであった。これに対として「地安門」が皇城の北に作られていたが、現存しない。

239_1 天安門が"The Gate of Heavenly Peace"なら、地安門は"The Gate of Earthly Peace"といったところだろうか。

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257_1  昨日紹介した天安門広場は南北880mだったが、故宮の方は、南北961m、天安門広場よりさらに広い。こちらも世界最大の宮殿の遺構である。

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253_2  私達は天安門広場と故宮を南北に突っ切ったのだが、天安門広場の端から故宮の端まで行くと、それだけで2k近く歩くことになる。万里の長城の険しさといい、天安門広場や故宮の巨大さといい、北京は足腰の弱いご老人には向かない観光地かもしれない。

254_1 北京市内はどこも2008年のオリンピックに向けて建設ラッシュだったのだが、ここ故宮もオリンピックに向けてだろうか大規模修復中だった。太和殿等主要な建築物が修復のため見られなかったのはとても残念だった。

266_1  しかしながらその壮大さは十分に堪能できた。皇帝だけに許されたという黄色い瑠璃甍の連なりは正に壮観だった。

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258_1  故宮の建物の屋根の上には走獣と呼ばれる霊獣がお守りのために乗せられている。

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288_1  そう言えば、孔子を祀った湯島聖堂の屋根にも霊獣が乗っていた。孔子廟だったら、当然中国の伝統的な建築方法を踏襲しているだろうから、当たり前といえば当たり前か・・・。

 この走獣、戒台寺や頤和園(イワエン)、また天安門の屋根の上にも置かれていた。

259_1  因みにこの走獣、数が多いほど貴重な建築物とされ、鳳に乗った仙人を先頭に、龍、鳳凰、獅子、麒麟、天馬、海馬、魚、猿、狼と続くそうなのだが・・・。どれがどれか分るかな~??

282_2  故宮の中にあったお寺?の門の前にも麒麟がいた。この麒麟、あまりにもスタイリッシュで、現代のアニメにでも出てきそうな感じだ。

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Img_2233_2 そうそう、東京の日本橋の欄干にもブロンズの麒麟が乗っている(→)。こちらの麒麟は大きな羽を持っているのが特徴だ。

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278_1  因みに紫禁城はラストエンペラーだけでなく、プッチーニのオペラ「トゥーランドット(荒川静香選手がトリノオリンピックでフリーの演技に使ったあの曲である)」の舞台でもある。美しい中国の姫「ツゥーランドット」は紫禁城に住んでいたのだ。

 

 

 

 

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February 03, 2007

北京旅行:その9 天安門広場

Tenanmon   左の写真はGoogle Earth で見た天安門広場と紫禁城である。

 写真の中央にあるのが天安門広場、中央上から4分の1位の位置に天安門があり、その奥が故宮(紫禁城)と言う配置になっている。

236  上の写真で、天安門と故宮の配置を見れば容易に想像が付くと思うが、毛沢東の巨大な肖像画で有名な天安門は、元々故宮(紫禁城)の正門であった。

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205  天安門広場は南北880m、東西500mの世界一大きい広場で、約50万人を収容できると言われる。一寸想像しにくいが、駅から直線距離で徒歩11分ほどの場所に有る身近な建物を想像してみるといいかもしれない。駅 からその建物までが、大体天安門広場の南北の長さと言う事になる。

232 この広場、その巨大さだけでなく、天安門事件等、歴史の舞台となってきた事でも有名である。

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215 広場の敷石は花崗岩製、良くぞこれだけ広い広場に花崗岩の敷石を敷いたものだと感動するが、万里の長城に比べれば造作無い事なのかもしれない。

228  花崗岩の敷石のせいか、広さのせいか、冬の天安門広場は一際寒い感じがする。寒風吹きすさぶ広場は、それでも凧揚げには絶好の場所のようで、広場を守る警備兵の姿と共に、凧揚げをする人たちが沢山いるのが印象的だった。

203  それにしてもこの凧、良く出来ている。一見本物の鳥と見紛うばかりだ。

 天安門広場はとても寒い所だが、広場横の地下道に、布団に包まったホームレスがいた。

197  北京に、それも国家の象徴とも言うべき天安門広場の横の地下道にホームレスがいるとは思いもよらなかったが、冬の北京のホームレス生活は想像を絶する寒さだろう。

206  広場の周りの巨大な建物は人民大会堂(西)や中国国花博物館(東)、人民英雄記念碑・毛主席紀念堂など(南)。

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229  毛主席紀念堂には防腐処理を施された毛沢東の遺体が安置されているようだ。

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202  実は私、毛沢東の若い頃の写真を見ていて、知人の台湾人にそっくりだと思い思わず絶句した事が有った。「漢民族の血」なのだろう。

 因みに天安門は英語でTiananmenだが、意訳するとThe Gate of Heavenly Peaceとなるようだ。数々の血なまぐさい事件との対照を強調するためか、映画の題名にもなっている。

 

 

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January 22, 2007

北京旅行:その7 シルク工場見学

Dscn2589_1  八達嶺長城を後にして再び北京市内に。今度はシルク工場に立ち寄った。七宝焼工場にも午前中に行ったので、今日2回目の工場見学と言う事になる。

118 中国は猛烈な勢いで変貌を遂げつつある国である。

 左は、バスを降りてシルク工場へと移動する途中に見かけたメリーゴーランド。

120_1  左の写真の後ろのオリンピック用とみられる建設中の建物や、手前に写っている古風なデザインのシルク工場と、こう言った古いメリーゴーランドとが渾然一体と同じ空間に存在しているところが凄い。

123  蚕の繭の中には2匹入っているものと1匹だけ入っている物が有り、2匹の物は糸が絡み合っているために繭から糸が取りにくい。その為、2匹入っている大き目の繭からは、糸を取るのではなく、そのまま伸ばして真綿を作るそうである。

121  一匹の繭は繭の表面から糸を取り、機械で糸を巻いていく。機械で巻き取った糸は加工して衣類などの製品になるようだった。

122  真綿の布団は軽くて暖かくてとても良さそうだったのだが、私は実は絹特有の匂いが苦手である。線維に加工して布になった物はそうでも無いのだが、真綿のような物はかなり匂いが残っている事が多い。

124_1  この工場で買った真綿の綿は、しかし、自分でお気に入りのカバーに入れて布団にしつらえたらいい掛け布団になりそうだ。匂いが気にならない人は是非挑戦して欲しい。

128  結局シルク工場でもお土産は買わずに、我々はバスで、店々のネオンが目立ち始めた北京市内を、夕ご飯を食べる場所へと移動した。

131  夕ご飯は何料理だったか覚えていないが、我々は滞在中、四川・広東・北京・上海・香港料理と、色々な中華料理を食べた。私達が行った中では香港料理のお店が一番美味しかった。

129  ところで・・・。シルク工場の看板の「絲」とかこの建物の「鑫」と言う字は、何と読むのだろう。

 

 

 

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January 21, 2007

北京旅行その:6 万里の長城 八達嶺

101  今日は万里の長城「八達嶺」の紹介をしてみる。

 八達嶺は万里の長城の中でも最も早く観光地として一般公開された場所であるようだ。

105  北京から近く直通の八達嶺高速道路も整備されているので、日本人ツアーの観光客は、長城見学と言うと殆どが八達嶺を訪れるのではないだろうか。

108  我々は日本人が便宜的に女坂と呼んでいる、八達嶺入り口から北側に上る険しくない方の坂を登った。

117 駐車場には帽子やスカーフを「ジュウマイ センエン!」などと叫びながら売り歩く物売りの人が沢山いたし、長城内にも、プレートに手彫りで長城の絵を彫って売っている人、お土産物を売っている人、民族衣装を着せた写真や、らくだの上に乗せて記念写真を撮って売っている人などがいた。

116 因みに、左の写真を撮った前日の気温は-14度程だったようだが、我々が登った日も多分-10度以下だったと思う。

 上の写真は、入り口から長城を暫く登った途中で撮った写真であるが、我々はこの写真の左上に写っている塔(=3枚目の写真の一番上の塔)位まで登ったような気がする。

Dscn2576  写真では大した坂では無いように見えるが、塔付近は1段の高さが30cm位もある急な階段状になっていて、上り下りは手すりに縋らないと怖い位だった。入り口南側に広がる男坂(と日本人が呼んでいる)の方はどれぐらいの厳しさなのだろう。

 下のWikiMapia の写真は5枚目の写真と同じ場所(と思われる)を衛星から見た写真である。(撮影場所は下の地図の左下辺り)

 地図上でマウスを手繰って左下に動かしてみて欲しい。この地図に最初に表示された場所の左下に駐車上らしき場所が現れるが、そこが八達嶺入り口だ。入り口部分のさらに下(南側)に広がる長城の部分が日本人が男坂と呼んでいるところ。体力が有る人は是非こちらに挑戦してみて欲しい。

 八達嶺の中で標高が最も高い「北八楼」は海抜1015mだそうだが、北京市内よりさらに寒さが厳しいこの場所を生活の場にしている人たちがいる。

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January 20, 2007

北京旅行:その5 七宝焼工場

100 今日は北京の七宝焼工場の写真を紹介してみる。

 北京の伝統工芸品の中で特に有名な物は、七宝焼(景泰藍)、象牙彫り、玉器、堆朱(ついしゅ)で、四大工芸品と言われている。

093  七宝とは梵語の「金、銀、瑠璃、瑪瑙、真珠など七種の宝物」を意味し、美しく貴重な品であることから「七宝焼」と名付けられたようだ。

094  七宝焼はまた「琺瑯」とも言われ、六、七百年にわたって中国に伝わるもので、宝石のような藍色の釉(うわぐすり)を下地にしている。明の景泰年間(1450~1457)に技術の域が最高に達したことから、「景泰藍」とも呼ばれたようだ。

092  海外旅行のツアーでは、自分でオプショナルツアーを選んで組み立てるほどその国に精通していない場合や、英語が通じにくい国の場合、全観光付きのツアーを選ぶ事が多い。

095  そう言うツアーは、オプショナルツアーを後で自分で頼むより割安の場合が多いのだが・・・。こう言った、土産物屋を併設した工場見学が必ずツアーの行程の中に入っている。

096_1 今回のツアーも、全観光付きのツアーを選んだので、今日紹介する七宝焼きだけでなくシルク工場の見学も旅程の中に入っていた。

087_1 往復の飛行機代や、ホテルの宿泊費、それに食事代を払ってどうして国内旅行並みの費用で治まるのか、海外旅行のツアー代金と国内旅行の代金を比較してみていつも不思議に思うのだが、どうやらこう言った工場見学や、トイレ休憩と称して、決まったみやげ物店に連れて行くところに、一寸したからくりがありそうだ。

086  七宝焼きは何回もの複雑な工程を経て作られる大変手の込んだ物だと言う事が、工場見学をして分ったのだが、私たち家族は結局この工場では七宝焼は買わなかった。物は良いのだろうが、七宝焼の趣味が無いのだ。

091  七宝焼のお土産を買う代わりに、私たちはバスが迎えに来る時間まで店の外をうろうろしていたのだが、北京は何処も2008年のオリンピックに向けて建設ラッシュが続いているようだった。

Img_2190 それでも、次の日、昼ごはんか夕ご飯を食べたレストランで食事の後に安い七宝焼のお土産を売りに来たので、結局そこで小物入れを買うことになったのだが・・・。夫と次男が一つづつ選んだ七宝焼の小物入れだが、いまだ使う気配は無い。

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January 17, 2007

北京旅行:その4 頤和園(イワエン)

058  今日は、清朝末期の政治を牛耳った「西太后:1835年~1908年」が海軍の費用を流用して再建したと言われている「頤和園(イワエン)」の紹介をしてみる。

059 中国の歴史の中に、しばしば登場する西太后だが、1835年生まれと言う事は、日本の年号で言うと天保6年。新撰組副長の土方歳三やアンドリュー・カーネギー等と同い年のようだ。

062  1856年、西太后は咸豊帝の長男を生み、その功績により、皇后に次ぐ二番目の地位である貴妃に昇進。

065  その後咸豊帝が崩御した1861年、西太后は咸豊帝との間に生まれた皇太子載淳を同治帝として即位させ、自らも東太后と共に垂簾聴政を行った。

066  1874年同治帝の大婚を機に親政を行おうとしたが、息子の同治帝は天然痘のため若くして崩御してしまった(真の死因は梅毒とも言われている)。 同治帝は子供を作らずに死去したため、後継問題が持ち上がった。

071  自身の権力低下を恐れた西太后は、妹の息子を光緒帝として即位させた。そして再度東太后と共に垂簾聴政を行い、権力の中枢に居続けた。

076  さらに1881年東太后が崩御。これによって西太后は清朝において誰に遠慮することもない地位を確立した。

077  1887年、甥の光緒帝の成年に伴い、自らは隠退を要望するが、混乱を恐れた重臣たちの意を受け3年間の「訓政」という形で政治のフォローを行う事を条件に、光緒帝の親政が始まる。 1888年には自身の姪を光緒帝の皇后(のちの隆裕皇太后)に推挙。

078  西太后は整備用の海軍予算を流用して頤和園を再建する訳だが(頤和園は1860年に英仏連合軍により殆どが破壊されていた)、北洋海軍の整備が遅れたことが、日清戦争に敗北した理由のひとつと言われている。

079  日清戦争の勝利により日本はその後軍国主義に走る訳だから、西太后のお気に入りだったこの庭園、日本とは大いに関係が有る庭園と言えそうだ。

081  その後、袁世凱が一部で進めていた西太后暗殺計画を密告した事により光緒帝を逮捕の上、中南海の瀛台(エイダイ)に幽閉し、三度目の垂簾聴政を開始した(戊戌政変)。

075  1908年光緒帝が崩御した翌日、「ラストエンペラー」溥儀を宣統帝として擁立し、西太后も74歳で崩御した。光緒帝と西太后の亡くなった日が近いことから、自らの死期の近いことを悟った西太后が帝を手にかけた、という流説が飛び交った。

063  写真は、頤和園内に今も残る光緒帝が軟禁されていた建物。外から見ると他の建物と変わらない様に見えるが、内部はレンガで囲われている。

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January 10, 2007

北京旅行:その3 戒台寺

_041  今日は北京郊外に有る戒台寺(戒壇寺とも)を紹介してみる。

_042 戒壇(かいだん)とは仏教用語で、戒律を授ける(授戒)ための場所を指すようで、日本では、鑑真が754 年東大寺に戒壇を築き授戒を行なったのが最初の戒壇である。その後、東大寺に戒壇院を建立し、先日紹介した太宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築いた(天下の三戒壇)。

_054  私達が行った戒台寺は、北京市内から西に35キロ。正式名称は彗聚寺と言う。唐の武徳5年(622年)に創建され、遼の咸雍5年(1069年)に法鈞大師が戒台を建ててから全国に知られるようになった。

_045 明清代に何度も修建され、現在残っている建造物のほとんどは清代のもののようだ。昔はここで信徒に対して説法を行い、多くの人々がこの寺の名を慕って説法を聴きに来たそうだ。

_048  全国三大戒台(ほかは杭州の昭慶寺、泉州の開元寺の戒台)に数えられ「神州第一台」と呼ばれているようだ。

_050_1  このお寺、その戒壇と共に松の木も有名である。境内には古そうな松の木が何本も有ったが、それぞれ謂われの有る木らしい。

_049 松の木の根元には、樟の巨木の根から彫ったらしい布袋様のような木像が置いてあった。

   _043_1 
 日本のお寺と中国のお寺の違いは色々有るが、特徴的なのが線香の大きさ。中国の線香は巨大で、私も一組買って線香立てにお供えしたのだが、火を付けるまで結構時間がかかった。
_055 寒い日で、暖房用に燃やされているのだろう、石炭の匂いがして懐かしかった。 

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January 09, 2007

北京旅行:その2 北京新世紀日航飯店

_035  我々が泊った宿は、「北京新世紀日航飯店:Hotel Nikko New Century Beijing」。この宿の宿泊客は90%以上が日本人なのではと思う位、ホテル内では日本語が飛び交っていた。例えばバイキング形式の朝食も、大きなテーブルに隣り合わせた人たちは皆日本人だったし、売店にも日本語が話せる売り子さんが居たし、ホテルのフロントにも日本人の女性が居た。

_036  因みに、このホテルの北京オリンピック期間中の予約は、既に日本人で一杯のようだ。

_029  5つ星ホテルらしく、部屋の調度はなかなかGood。ドアや家具類はお揃いで、クラシカルなフォルムの中にもモダンさを感じさせる象嵌細工。普通の木の色に、濃い目の木、白っぽい木を埋め込んで幾何学模様をあしらっている。いかにも高そうな家具類だ。オーダーの家具にありがちな感じだが、残念ながらテレビボード下の引き出し類は、例えばテレビボードの扉を開けると閉めにくい等、今一使い勝手が悪いところもあった。

_030  我が家は今回は夫と次男と私の3人で出かけたので、ツインの部屋にエクストラベッドを入れてあり、一寸狭かったのだが、例えば新婚旅行などでこのホテルに泊るのはなかなかいいかもしれない。(写真は部屋からの眺め)

 それに、中国は英語が通じるところはあまり無いから、万一英語が苦手でも苦手なのがばれないし、3泊4日や4泊5日の短い日程なら、成田離婚なんてことにもなりにくいかも・・・。

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January 08, 2007

北京旅行:その1

 正月休みを利用して、北京に行って来た。

 北京到着は夜。バスから撮った北京の道路や、食事をした場所の写真を紹介してみる。

_011  成田空港で北京行きの飛行機に乗り込む。写真はチャイナエアー。926便

_016  北京空港到着後、バスで北京の市街地に。当然ながら道路標識は全部漢字だ。北京の道路は車は右側通行。アメリカと同じだ。

_020_2   写真は夕食を食べた四川飯店。北京の繁華街、王府井に有る。四川飯店の前には得体の知れない食べ物を串刺しにして売っている屋台が沢山並んでいた。

 

  中国では、旧正月を祝う習慣が有る為、新暦の正月は盛大にお祝いしない。飛行機の中でもクリスマスソングが流れていたが、北京市内も飾りつけはクリスマスのままだった。

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 クリスマスの習慣も最近入ってきたのか、サンタの顔は何処もこんな顔だった。写真は四川飯店内のサンタクロース。

 

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December 07, 2006

中国旅行案内:北京&万里の長城

 北京オリンピックは2008年でしたっけ?

 暇だった訳でも無いが、オリンピック記念に(?)何となくこんな物を作ってみた。(アホです)

「china_1.doc」をダウンロード

「china_2.doc」をダウンロード

 北京&万里の長城方面に行かれる方は、一寸した案内書代わりになると思うので、活用されてみてはいかがだろうか。

 上海編は、一度行った事があるので意欲が湧かないので、そのうち気が向いたら(いつ??)と言う事で。

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April 04, 2006

おとなの休日倶楽部VS.ジパング倶楽部

 昨日、水上温泉からの帰りの特急の車内の中で「大人の休日倶楽部」のパンフレットを見付けた。この倶楽部、てっきり50歳以上の人が利用出来るのだと思っていたのだが、パンフレットの説明を良く読んでみると、入会資格が有るのは、どうも男性65歳以上、女性は60歳以上の人のようだった。

 パンフレットの吉永小百合さんの写真を見つつ「そうか吉永さんはもう還暦過ぎたんだ・・・、いつまでも若くてお美しくって、羨ましいなぁ。」なんて思いながら、だったら50歳以上なら入れるっていうのは何て言うクラブ??と思ったのだが・・・。

 家に帰ってネットで調べたら謎が解けた。私が電車の中で見付けたパンフレットは、多分「大人の休日倶楽部:ジパング」(男性65歳女性60歳以上)の方で、男性も女性も50歳以上なら入れる方は、「大人の休日倶楽部:ミドル」の方らしい。

 ところで、この「大人の休日倶楽部」だが、ジパングの方はJR東日本の切符が30%引き、それ以外のJRの切符も20%引き(3回目までの利用)又は30%引き(4回目以降の利用)になるようだ。同じようなサービスに「ジパング倶楽部」が有るようだが、こちらの方もJR線が20%引き(3回目までの利用)、30%引き(4回目以降)となるのは同様のようだった。

 どうもこんがらがって良く分からないのだが、「大人の休日倶楽部:ジパング」の方は、全国ネットの「ジパング倶楽部」にJR東日本のみ初回から30%引きという特典を付け加えた、JR東日本のオリジナル商品という事なのかな??

 因みに、50歳以上なら入会できる「大人の休日倶楽部:ミドル」の方は、入会するとJR東日本の切符が何回でも5%引きになるようだ。

 さらに、例えば、会員限定の『JR東日本乗り放題パス』等のお得な切符が有り、この切符を使うと東京から函館まで6000円で行って帰ってくることが出来るようだ。(平成18年5月15~平成18年5月25日)

 勿論新幹線も利用できるが有効期間は一日のみ。でも、2枚買っても1万2千円だから、新幹線を利用してのんびり東北地方の景色を楽しみながら函館まで行き、函館周辺を観光した後にまたのんびり新幹線で帰るという手も有るかも。

 だけど、良く考えたら、北海道の激安ツアーの方が安くつくかなぁ~?

 あ、忘れてた、私はまだ50歳未満だから使えないんだった。(笑)

 

  

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December 29, 2005

八重山諸島めぐり2日目

 八重山諸島巡り、2日目。午前中石垣島の宮良川でカヌー体験をした。午後は竹富島観光へ。

1、2、3枚目・・・宮良川でカヌー体験。西表島でもカヌーやりたかったなぁ。

4、5枚目・・・昼間のホテル外観。結婚式場も有るらしく、滞在中結婚式をやっていた。

6、7枚目・・・石垣港。水の色が凄い。

8、9、10枚目・・・竹富島で再びグラスボートに乗った。潮の関係も有るのだろうが、昨日の川平湾より澄んでいる感じ。水上からも珊瑚が良く見える。9枚目の写真は海底から温泉が湧いているところ。泡が沢山出ているのが分かる。硫黄臭かった。

11枚目・・・竹富島の郵便局

12枚目・・・竹富小中学校

13枚目・・・観光客を乗せた水牛車を引く水牛君。ご苦労様です。

14、15枚目・・・竹富島の風景

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December 28, 2005

八重山諸島めぐり1日目:その2

 石垣空港到着後、レンタカーを借りてから、一旦荷物をホテルに置いて、島内観光に出掛けた。

1、2、3枚目・・・石垣島鍾乳洞

4、5、6枚目・・・川平(カビラ)湾のグラスボートから撮った写真

7、8枚目・・・川平湾 珊瑚礁と珊瑚の白い砂、エメラルドグリーン&ブルーの海、何と美しい湾だ。ここが日本だとは俄かには信じがたい

9枚目・・・夕日に映える砂糖黍畑

10枚目・・・宿泊したホテル日航八重山

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八重山諸島めぐり1日目:その1

羽田から石垣島空港到着まで

1枚目・・・JAL羽田発沖縄行き

2枚目・・・沖縄で石垣島行きの飛行機に乗り換え

3,4,5,枚目・・・飛行機の中で撮った写真

6、7枚目・・・石垣島到着。J私たちが那覇空港から石垣空港まで乗って来た飛行機の外観と内部。年季が入っていそう。この飛行機でも滑走路はぎりぎりだった。

8、9、10枚目・・・石垣島空港。小さな空港らしく、荷物のベルトコンベアの中にも土産物を展示してあった。到着したのは12月24日、クリスマスイブだが、亜熱帯の石垣島、この日の最高気温は24℃、サンタの衣装は暑そうだった。島の施設のあちこちに熱帯魚の水槽が有った。今の空港は小さすぎる為に新空港の建設運動が起きているらしいが、珊瑚礁などの自然保護と折り合いを付けるのが難しそうだ。

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December 27, 2005

八重山 Islands

 24日から、八重山諸島に旅行に行って来た。さっき東京のマンションに到着。3泊4日の短い旅とは言え、早朝出発、夜帰宅だったので、日程以上に楽しめた。

 南の島への旅行、行く前は「南の島なんて~」と、歴史的建造物好きの私は、一寸馬鹿にしたリしている。けれど、フィジーに行った時も、ハワイも、沖縄も、そして今回の八重山諸島巡りも、終わってみれば「また行きたいね~。」と言っている。(笑)

 今回の旅でいいと思ったお勧めスポットなどは、明日から随時アップして行くつもりだが、今回一番感じたことは「台湾に近いとは言え、八重山諸島はまぎれもなく日本だ」と言う事だ。

 以前ハワイに行った時、出発前に、「ハワイなんて日本人ばかりでアメリカ合衆国ハワイ県なんじゃない?」と冗談で言っていたが、ハワイに到着して景色を見たら、かの地はまぎれもなくアメリカだと言う事を思い知らされた。先ず、アメ車が多い、そして、建物や道路等の施設全てがアメリカである。いくら日本人観光客や日系人が多いとは言え、ハワイはアメリカだと思った。

 それと同じ事を石垣島でも感じた。先ず建物の表示や使われている言葉が日本語である。(そんなの当たり前と思うだろろうが、石垣島は台湾に近い)琉球王朝時代は台湾や中国とも関係が深かったであろう石垣島だが、スーパーで売られているものは、コンビーフの種類がやたら多いとか、現地独特の食べ物が少し有る事以外、本土と殆ど変わらなかった。

 1952年4月の対日講和条約によって日本から分離され、アメリカの支配下にあった沖縄が、日本に返還されたのは1972年5月15日である。33年前だ。私は幼い時に奄美大島に住んでいた経験が有るが、40年以上前の奄美大島は本土とは全く違う場所だった。石垣島は本土と殆ど変わらない文化圏に有るなと今回の旅で感じ、嬉しい反面一寸複雑な思いもした。

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October 26, 2005

奄美大島憧憬

 今日のヤフーニュースで、奄美大島の島バナナが紹介されていた。

 このバナナ、幹が付いたままの物珍しさや濃厚な味が人気を集め、秋の高級果物として福岡県や東京都など都市圏へ出荷されているそうで、スーパーなどで売られている輸入バナナの七、八倍と言う高値で取引されているらしい。

 40年位前に奄美大島に住んでいたことがある私だが、昔、バナナは高級品だった。奄美大島から本土に行く時のお土産はバナナやパイナップルが定番だったような記憶が有る。

 勿論、うちで食べるバナナも島バナナだったのだろうが、残念ながら味や大きさについての記憶は無い。

 ただ、青いうちに島バナナを幹ごと物置に吊るして、その下に「カーバイト」と言うカンテラの燃料を置いて、早く熟させて、熟した物から順に食べていたのは覚えている。このカーバイト、水と反応するとアセチレンガスを発するようで、何とも言えない匂いがしたものだ。

 だから、私の意識の中のバナナ=幹に房が沢山付いているバナナで、スーパーで、一つ百円で売られている、4~5本付いたバナナではない。

 私が住んでいた家には、バナナの木は無かったが、バンシロウ(グァバ)やパパイヤの木は有った。昔から木登りが好きで、バンシロウの木には友達と一緒に良く登って、実を取っていた。パパイヤの木にも登っている写真が有ったから、千葉の家に暫く遊びに来ていた両親に聞いたことが有ったのだが、母によると、私はパパイヤにかぶれていたらしい。

 そう言えば、10年前位にフィジーに行った時、マンゴーがあまりに美味しくて、沢山食べたのだが、全身かぶれて、後でひどい目に遭った事がある。

 どうも、熱帯系の果物、かぶれるのが多いようだ。マンゴーはウルシ科らしいから、かぶれるのも納得だけど・・・。

 本土出身の父と母だが、NHKの電波の中継所が無いので、テレビ放送も始まっておらず、娯楽が無い奄美の田舎暮らしをそれなりに楽しんでいたようだ。殆ど毎週(と言うか毎日だったかもしれない)近くの診療所の先生ご夫妻ともう一人やはり本土から赴任しているサラリーマンと5人でマージャンをしていた。

 いつもメンバーは5人で、長時間やると疲れるので、一人ずつ抜けて休み休みやっていたようだ。勿論賭けマージャンだったが、商品は砂糖や酒等の食料品、ブービー賞や最下位の商品の方が一位より良い事もしばしば有った。

 あの頃は小学校の学校給食が始まったばかりだったような気がするけど、牛乳ではなくてスキムミルクだった。栄養的には脂肪抜きで牛乳よりヘルシーだったんだろうけど、あったかいスキムミルクは臭くてまずかった。

 図工の時間に、貼り絵の授業があったけど、貼り絵の材料はバナナの葉だった。

 学校の飼育小屋では奄美の黒うさぎを飼っていたような気がするが、これ、国の天然記念物だから私の記憶違いかな?

 スコールの雨の帯が向こうから迫ってくるのに気付くと、遊びを止めて走って家まで帰った。

 大型台風が来ると、雨戸を釘で打ちつけ、床上浸水に備えて家の畳を全部上げた。

 グラスボートに初めて乗って、海底の美しさに感動した。

 本土から親戚が来ると、舟をチャーターして珊瑚礁で出来た無人島へ遊びに行った。時々、珊瑚礁にぽっかり穴が開いている所が有って、もぐると青や黄色の熱帯魚が泳いでいるのが見えた。

 記憶の中の奄美大島は、真っ青な海に彩られ、何時までも色褪せない。

 

 

 

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October 12, 2005

箱根の温泉旅行

 連休の日曜日と月曜日を利用して箱根に行って来た。   芦ノ湖畔の温泉旅館に一泊したのだが、この旅館、純和風旅館で、特にその庭が素晴らしかった。

 通常、家族旅行の場合、我が家はこういう旅館には泊まらない、と言うよりかは泊まれない。 この旅館、何しろ、一部屋に4人で泊まっても、一人2万円位払わなければならない。 安いツアーを探したら、旅費込みで2万円以下の物も結構見付かるから、家族旅行の場合はそちらを選ぶんじゃないかな?

 今回は、主人の会社が法人契約しているWELBOXを使って予約したので、素泊まりのプランだったのだが格安だった。

 部屋は古めだったが、こういう本格的な旅館には一度も泊まった経験が無かったので、結構感動した。下の写真は私達が泊まった別館の部屋の床の間の写真である。何の変哲も無い床の間に見えるが、よく注意して見て欲しい。右上に写っている壁の一部が白い色に変色しているのに気付かないだろうか?

 そう、本物の塗り壁だ。

 東京に越して来てから本物の塗り壁の和室にお目にかかった事は一度しかない。名前は忘れたが、都内の平屋の料亭の壁が塗り壁だった。この旅館、名前に「亭」と付くから、案外そういった所を意識しているのかもしれない。

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          床の間

 旅館の建物の廊下の天井を見上げると網代に編んであったし、シンプルだがなかなかどうして。

 私達が泊まった別館の部屋は、10畳+6畳+3畳位の広縁付きで、広いトイレと洗面ボールが二つ付いた手洗い場、冷蔵庫などの水周りの構成。水周りと部屋の間にも広めの廊下が有った。

 「ここは家族連れなんかで来るところじゃないなぁ。愛人と来る所だなぁ。」 と、良からぬ妄想を膨らませ、熟睡出来なかった私。(笑) 朝5時位に目が覚めてしまった。

 生憎の荒天で、朝から結構な雨。時々雷の音もしていたのだが、窓を開けてだんだん明るくなる外の景色をぼんやりと眺めていた。

 桜の木が強風でざわめく様子をぼんやりと眺めながら、芦ノ湖を借景とした庭を満喫した。新緑や桜、紅葉の季節などはさらに美しいに違いない。

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部屋からの眺め:遠くにチラッと見えるのが芦ノ湖。

 早朝、「富士見の湯」と言う名前の露天風呂に入った。こちらも、名前から想像すると、天気がいい日には、遠く富士山を見晴るかすことが出来るのだろう。こちらの借景の使い方もなかなかである。

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露天風呂からの眺め

 天気と撮影者の腕が悪く、美しい庭の様子を十分に伝えられないのが残念だが、借景をうまく使った奥行きの有る景色を堪能して、「やっぱり和風旅館はいいなぁ。」と思った。

 ここの温泉、箱根十七湯の一つで、「蛸川温泉」と言うらしい。お湯は無色透明で、匂いも無く、個性が強い草津の白旗の湯に入った後なので物足らなさを感じたが、神経痛や筋肉痛、関節痛などに効能が有るそうだ。

 週末、愛人とご一緒に是非どうぞ!二人で大いに運動した後は、温泉で筋肉痛を治して下さい。

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October 03, 2005

冬休みの旅行の計画

 先日から冬休みの旅行のプランを色々考えていたのだが・・・、グアム、台湾、韓国、中国等の近場の海外と2~3泊の国内旅行を色々比較検討してみた。

 先ず、最初にいいなと思ったのが、トロントに滞在するツアーで5万円台のもの。             細かいスケジュールは忘れたが、3泊5日のようなかなりの強行軍だった。主人が、「ナイアガラの滝は一見の価値が有る。」と言うものだからその気になりかけたが、「半日飛行機に揺られてカナダに着いてもとんぼ返りじゃ疲れそう。」と言う事で却下となった。

 グアムやハワイ等の外国のビーチは、魅力的だが冬休みは割高だからこれもあっさりパス。

 次の候補は台湾。                   今、台湾に親しい知人が数人いる。忙しい人達でも皆に声を掛ければ誰か一人位は半日観光のガイドをしてくれるんじゃないかと思った。こちらは一旦保留。

 次に考えたのがソウル又は北京。               どちらも最近特に反日感情が悪化して来ていて、行きづらく感じる国だが、子供達と一緒に万里の長城に登ったり、兵馬俑に行ってみたいとも思った。冬は寒そうだが人が住んでいるんだから何とかなるだろうし、ツアー代金もオフシーズンなのでかなり安い。

 ただ、考えてみればアジアの国は、冬は鳥インフルエンザやサーズの恐怖が再燃する可能性大だ。主人の「何だか外国に行きたい気分じゃ無いなぁ。」と言う意見でこれも今回は見送る事にした。

 海外旅行をほぼ諦めて国内に目を向けた。             最初に候補に挙がったのが奄美大島。奄美大島は小さい時に住んでいた事があった。前から行きたいと思っていたのだが、同じ南の島でも沖縄に比べると割高だし、「冬の奄美は雨季よ!」と言う母の言葉に出鼻をくじかれてこちらも見送る事にした。

 次が乳頭温泉卿。                  「休暇村田沢湖に二泊してのんびりするのも悪くない。」と思い、一旦はこれに決めた。早速予約を入れたのだが・・・、乳頭温泉郷付近の旅行は、JRの運賃だけで片道1万5千円位かかることを発見した。飛行機利用のツアーの方がよっぽど安いので暫く保留。

 飛行機利用と言えば、以前飛行機利用のツアーでユニバーサルスタジオに行った事があった。東京から大阪までだと新幹線の方が便利だし、宿泊先も高級ホテルだったのだが、関空の近くで一寸不便な立地だったのでツアー代金は格安だった。

 確か前回は長男が修学旅行でいないときに残りの家族で出かけた。「ユニバーサルスタジオなら行きたい。」と言う長男の意見と、「新しいアトラクションが増えたようだから、他の人も楽しめるんじゃない?」と言う主人の意見、それに何と言っても格安のツアー代金の惹かれたのだが・・・どうもこういったテーマパーク、私は「一回行けばもういいや。」と思ってしまって駄目である。

 色々考えて、「もうそろそろ本格的に決めないとまずいんじゃない?」と言う事になった。                  

 我が家は数年前に家族で冬休みに沖縄に行った事が有る。私自身は沖縄には20年以上前にも一度行った事が有ったのだが、あの頃の観光の目玉と言えば、ハブとマングースのショー・姫ゆりの塔・戦没者の合同慰霊碑・万座ビーチ等だった。

 2年位前の冬に家族で行った時には今帰仁城が世界遺産に登録され、美ら海水族館首里城と言う観光の目玉も増え、道路も整備されてすばらしく魅力的な観光地に豹変していたので驚いた。

 沖縄、また行きたいと強く思ったのだが、本島の観光地で行きたい所は前回の旅行でほぼ全部回っている。「それなら離島が有るさ!」と言う事になった。

 10月に入り、各社年末年始のツアーを発表し始めたので、今日速攻で八重山諸島の安いツアーに予約を入れた。ホテルは航空会社系のホテルだから間違いは無いだろうと思うのだが、問題は天気かな?飛行機もさることながらオプショナルツアーの組み立て方も天気次第だし、宿泊先の島から近隣の島までフェリーで移動する事になるだろうから欠航なんて事になったら目も当てられない。

 兎も角、八重山諸島、今から楽しみだ。

 ・・・と言う訳で、暫くはミンサー柄にすることになりました。(笑)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 ミンサー

 昔、通い婚の風習があった時代、八重山地方では男性の求愛に対し、女性がその愛を受け入れた証として「みんさーふ」と呼ばれる帯を自ら織って贈っていました。この「みんさーふ」は木綿糸を藍で染めて織り上げたもので、五つと四つの絣模様には「いつ(五)の世(四)までも末永く」という願いが込められており、両脇のムカデの足に似た模様は「足しげくおいでください」という意味が表現されたものと言われています。

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September 30, 2005

草津温泉旅行その3

 草津温泉2日目、主人と次男は早起きして、西の河原公園の露天風呂に入りに行ったらしい。金曜日の昼過ぎに一回前を通ったのだが、激混みの様子で入るのを止めた大露天風呂だ。早朝にもかかわらず結構人が居たそうだが、広くて眺めが良かったようだ。

 主人達が丁度帰って来た頃にのろのろと布団から起き出し身支度を整えて、簡単な部屋の整理をした。朝食をとっている間に布団をたたむ人が来たら、散らかしっぱなしの部屋はいかにもみっともない。こういうのは大抵一家の主婦のせいにされるから、一応見栄えがいいように荷物を簡単に整頓した。

 時間になったので朝食をとりに食事処に。昨日夕食を食べた所と同じレストランだが、今朝は和室の個室に通された。「夕食が和室の方が良かったな~。」と思いつつも、風情有る和室の雪見障子の外の坪庭を見ると・・・猫がいる。最初置物かと思ったが、正真正銘生きている鈴を付けた白と黒のぶちの猫だった。奈良屋が置物の招き猫ならこちらは生きている招き猫だ。

 朝食は朴葉味噌と脂ののった焼き鮭がメイン。朝御飯もなかなか美味しかった。朴葉味噌、美味しかったので家庭でも出来ないかと思ったら通信販売で売っているのを発見。インターネットの普及で、色々な食材を気軽に取り寄せられるようになった。便利な世の中になったなぁ。

 朝食後暫くのんびり部屋でくつろいでから、ホテルをチェックアウト。今日も天気が今一だったので、ベルツの森の中にあるテルメテルメに行く事にした。幸いホテルのマイクロバスで送ってくれた。

 Caracalla Thermeがカラカラ浴場だからテルメとはドイツ語で浴場と言う意味なのかな?温泉とプールが有り、プールにはウォータスライダーまで有った。プールを存分に楽しんだ後、温泉ゾーンへ。ここの温泉、時間湯が体験出来るらしいと聞いて、どうするか迷った挙句挑戦してみる事にした。

 時間湯が体験出来る浴場は男女別に分かれていないので時間による入れ替え制だった。貸切予約も出来るようだが湯長の指導が無くても良い人は男女別の割り当て時間に気楽に入れるようになっている。

 女性専用時間になるのを待って早速時間湯に入ってみた。恐る恐る手をつけて浴槽の温度を確かめたのだが・・・思ったより熱くない。46~47度といったところだろうか?「これなら白旗の湯のほうがずっと熱い。」と思いながら、とりあえずお約束通り手ぬぐいを頭に被って浴槽の湯を頭から何杯かかぶってから湯船に入った。

 あまり熱くないと思ったのは私ぐらいのものだったようで、他の人は湯船に腰掛けて足だけつけている人が多かった。我慢できない程には熱くないと思いつつも、3分も浸かると湯の熱さと硫黄の蒸気に蒸されて何だか呼吸困難になってくる。湯当たりしないうちにドアを開けて外に非難した。

 外気で程よく体が冷めたところを見計らって、また3分、冷やして3分を繰り返し、一応私なりの時間湯体験終了。ここのお湯、テルメテルメの温泉の、他の浴槽のお湯と一寸泉質が違うように感じた。白旗の湯とよく似ていて、硫黄の匂いが強烈で温泉成分が濃い感じである。

 一般に熱いお風呂は体に悪いと言われるが、昔の人は時間湯で病気を治したようだから、この入浴法理に適っているのだろう。本格的な時間湯の体験は千代の湯や地蔵の湯で出来るようだ。慢性病で悩んでいて熱いお風呂が好きな人は挑戦してみる価値が有るだろう。血圧が高い人や心臓が悪い人は止めといた方が無難かもしれない。とりあえず水分を沢山補給してから挑戦する事をお勧めする。

 せっかくの濃い温泉成分、洗い流すのは勿体無いので上がり湯をさっとかけただけで温泉施設を退場。ラウンジに出て暫く座っていたがなかなかほてりが冷めない。温泉は本当に温まるなぁ!

 湯冷ましに施設内のカレーレストランで大人は生ビールを、子供達はケーキとジュースを注文した。

 暫くくつろいでからバス停の有るホテルヴィレッジ前に移動したのだが、ホテルの一階に美味しそうなレストランが有るのを発見。ここで遅い昼ご飯をとった。

 ここの洋食レストラン、壁にヒロ・ヤマガタのシルクスクリーン等の絵が沢山かかっていて、ゆったりとしたスペースに心地よい音楽が流れとてもいい。ウエートレスさん達も黒またはモスグリーンの白襟付きの制服を着ていてなかなかチャーミングだった。こちらの方はコスプレでなく本物のメイド服だ。

 このレストラン、雰囲気が良く値段も手頃だったのだが、その上料理も大変美味しかった。マンションに帰ってから主人が注文した豚ロースの黒ゴマソースがけを再現しようと試みたのだが、レストランの味には遠く及ばなくてがっかり。どこかで似たような料理のレシピを調べてみようっと!それにしても東京でこの雰囲気、この味のレストランなら3倍位の値段を取られるだろう。贅沢な気分を手軽に味わいたいならやっぱり田舎に限る。

 続く 

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September 29, 2005

草津温泉旅行その2

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 ― 草津の老舗旅館の一つ奈良屋の入り口横に鎮座する招き猫 ―   招き猫と言えば古道具屋さんの片隅か定食屋の古びたショーウィンドーが似合いそうだが、ここの招き猫は立派な住処を与えられて客を招き入れていた。

 白旗の湯を出て、ホテルまで帰る道すがら色々なお土産物やさんを冷やかした。草津温泉に多いと思ったのは、温泉饅頭を売るお店と湯の華、そして履物屋である。

 次男が、下駄かぞうりが欲しいと言い張るので、履物を置いてある店を何軒か回って、雪駄を購入した。(500円) この雪駄、男性用なのだが、いかにも小さい。次男の足のサイズは多分22~23cmと言ったところだが、履いた感じそんなに大きくない。そう言えば中学の時のバスケ部の知り合い、足が28cmで特注だと言っていたが、最近は28~29cmなんて言う靴が店頭で売られている。昔は結構足の小さい男の人が多かったのかな~?

 早速買ってもらった雪駄を履いて、ホテルまで帰った次男だか、翌日帰りの特急の中で、やっとスニーカーに履き替えた。「流石に東京で雪駄は目立つよ!」と言う脅しが効いたのだろう。(笑)

 我が家では、東京での殺伐とした生活の中に少しでもリラックスタイムを作ろうと思い、温泉の素(湯の華)を各地の温泉から取り寄せ、その日の気分で使っている。

 温泉の素、色々な温泉地の物を取り寄せたのだが、硫黄成分が入っているものは今までパスしていた、追い炊きが出来る風呂なので、風呂釜が傷む恐れが有ると思ったからだ。

 当然草津温泉の湯の華はパスしていたのだが、今回はお湯が大変気に入ったので硫黄が沢山入っていると知りつつ購入した。湯の華は粉状の物を購入したのだが、液状の草津温泉ハップも有った。購入した湯の華、帰宅後早速熱湯に溶かしてマンションの風呂に入れて、温泉気分の名残を味わった。

 ハップで思い出したが、小さい頃六一〇ハップって商品使っていたなぁ。この商品、創始者の武藤さんの名前から六一〇、英語のhappyからハップと言うネーミングにしたらしい。草津温泉ハップ、白骨温泉で使われていた事で話題になったが、家に檜のお風呂か岩風呂でも作ったら毎日入れて入りたいなぁ。                                         DSC07853                    

 温泉土産と言えば温泉饅頭が定番だが、草津は温泉饅頭激戦地らしい。店頭に蒸篭を置いて蒸かしているお店を何軒か見かけた。通行人に温泉饅頭とお茶を配っているお店でも一箱買ったが、自分の家に持って帰るお土産も人にあげるお土産も、今回は全部温泉饅頭にした。

 立ち寄り湯も寄りたい所が有ったが、午後4時までで、時間外だったので諦めた。老舗旅館の内風呂や露天風呂すばらしいんだろうなぁ。草津も思い切って黒川温泉みたいに入湯手形作っちゃえばいいと思うんだけど、温泉協会の意見をまとめるのもなかなか難しいんだろう。

 入湯手形の代わりに公共浴場に無料で入れるようになっているが、どこもちょっと狭いようだ。白旗の湯はお湯は抜群に良かったが狭いと感じた。何とかしてもう少し広い浴場にしてもらえるとありがたいんだけど・・・。

 そぞろ歩きながら宿泊先のホテルに帰って、夕食をとった。格安ツアーゆえ、部屋食ではなかったが、テーブルに料理を少しづつ運んでくれる結構本格的な懐石料理で、料理は美味しかった。

 満腹になり、部屋で休んでからコインランドリーで洗濯をしホテルの風呂に入った。

 人が沢山入っているのに洗い場の椅子の上に私物を置き占拠している人がいたのだが、私の後から入って来られたご婦人、さっさとシャンプーや櫛の入ったプラスチック製のバスケットをどけて洗い始めた。それに気付いた高齢のご婦人が、「そこ、私が取っておいたんですけど。」と近寄って来た。隣のご婦人顔色一つ変えず「空いている時はいいけど混んでいる時はみんなで交代で使わなくっちゃいけませんから。」と答えると、高齢のご婦人に「どうぞ。」といってバスケットを差し出した。あざやか!

 ここのお湯、ホテルのお客だけじゃなく常連が多いような気がしたのだが、聞くと上の階の方は分譲マンションや別荘になっているらしい。お湯がいい草津温泉、坂道が多く買い物に出るのが大変そうだが老後の隠居先にいいかもしれないと思った。

 ホテルの湯は、湯船の目地が緑色に変わっていた。賽の河原公園の足湯も底に付いた藻が緑色をしていた。硫黄の匂いもあまりしないし、白旗の湯とは泉源が違うようだ。万代鉱の方が泉源なのかな?美肌になるらしいが、一日じゃ無理そうだ。(笑)

 続く

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September 27, 2005

草津温泉旅行その1

 三連休の金曜日と土曜日を利用して、草津温泉に行って来た。

 天下の名湯と謳われる草津温泉だが、我が家のメンバー、一度も行った事が無かった。

 金曜日は、上野10時発の草津3号で出発、この特急、途中まで水上3号と連結されていた。途中駅での切り離し作業、筋金入りの「鉄」である、我が家の次男、行きも帰りもわざわざ降りて写真を撮っていたようだ。

 特急草津の電車の先頭車両のロゴマーク、よく見ると温泉マークを図案化したものであることを発見。JRもやるな!と関心しつつ12時27分に長野原草津口に到着。

 長野原草津口駅からバスに乗り換え、約30分弱で草津温泉のバスターミナルに到着した。

 電車とバスの合計時間が大体3時間、この位の時間だと乗り物に乗っているのもあまり苦にならない。

 早速ホテルに向かったが、チェックインには一寸早過ぎた。とりあえず、ロビーでお茶を頂き、その間に部屋の掃除が終わったらしく、早めに部屋に案内してもらった。

 荷物を置いて、賽の河原公園や湯畑を散策したが、連休中とあって狭い道路は車も人も凄い混雑である。                DSC07851

  西の河原公園、何だか硫黄臭いし、小さい川みたいなのがあちこちに流れているなと思ったら、これが全部温泉だった。このお湯を全部捨てているのなら物凄く勿体無い。主人と次男は次の日の土曜日の朝早起きしてここの大露天風呂に入ったらしいが、金曜日の昼間は人が多すぎてパス。

 小雨が降り始めたので一旦ホテルに戻り傘を取って来てから湯畑の方へ向かった。              DSC07859           

 草津の湯畑、観光案内には必ず出てくるので写真では何度も見た事が有ったが、写真の印象より一寸小ぶりな感じだった。兎も角、硫黄の匂いがぷんと匂ってくる。古くから有る温泉地は何処も大体そうだが、道が狭いし、曲がりくねってアップダウンが激しい。人と車が多過ぎて、向こう側に渡るのに一苦労しながら湯畑の写真を撮り、すぐ脇の白旗の湯に向かった。

                          DSC07861 

 白旗の湯、観光案内等を調べると、源頼朝が発見したと伝えられ、源氏の白旗にちなんで「白旗の湯」と改称されたらしい。何やら歴史の有る温泉らしいが、建物の方は最近改装したのか割合新しかった。

 中は、10人分ぐらいの脱衣籠が有り、風呂も10人も入れば満員に成りそうなぐらいの大きさである。地元の人と思われる中高年女性が5~6名と、関西方面から来たらしい20代ぐらいの女性が2~3名入っていた。

 中にいたおばちゃんの一人に、若い女性が「前をよく洗ってから入れ」と注意されたらしく、そのおばちゃんが風呂を上がった後、「ちゃんと洗ったのにあの婆ぁ腹立つ。」と言うような感じで連れの女性に関西弁で文句を言っていた。

 どちらの言い分が正しいか注意された現場を見ていないので判らないが、人が多いと諍いも増えて本当に良くない。

 硫黄成分と強酸性のお湯のためか浴槽も樋も床も殆ど全てが木製で、湯船はやや大きい方と小さい方に分かれていた。どちらも同じ樋から温泉を入れているが、大きい方は44~45℃。小さい方は47~48℃かそれ以上と言ったところだろうか?小さい方に浸かっている猛者は、地元の中年女性ただ一人だった。私も挑戦したが一分もしないうちに退散した。何故かはわからないが、小さい方の浴槽の方がより白濁していた。

 白旗の湯、入湯料無料の公共の湯だが、温泉成分がぎゅっと詰まった感じで凄く良い。気が付いたらここ1年だけでも作並、鬼怒川、筋湯、黒川と結構温泉行脚している私だが、ここの温泉、もしかしたら日本一の温泉かもしれないと思った。     が、それにしても熱い。小さい方に浸かっていたおばちゃんに「ここのお湯と時間湯とどっちが熱いですか?」と聞いたら、「時間湯の方がずっと熱い。」と言うお答え。日頃、マンションの風呂の設定温度を45℃にして、湯の華を入れ一人時間湯にしている私、「草津に来たからには時間湯を体験しよう!」と密かに心に決めていたのだがあえなくギブアップしたのは言うまでも無い。(笑)

 続く

DSC07856 携帯で暇つぶし:連休中は稼ぎ時・・と言いたいところだが、人も車も多過ぎて、人力車で回るのは一寸大変そう。今は携帯に色んな機能が付いているので暇つぶしにはもってこいだ。

 

 

 

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September 05, 2005

東京は今年も暑い!

 スポーツイベントのキャッチコピーではないが、東京は今年も暑い!(まだ過去形には出来ない)9月に入ってからも連日最高気温30℃以上の真夏日が続いている。

 因みに、今年は今日まで真夏日48日、夏日93日、予報ではこの後も9月8日から12日までは真夏日の見込みだ。

 正に、真夏日50日以上が当たり前になって来た東京だが、このまま行くと22世紀を待たずして真夏日100日時代に突入と言う気がするのだが・・・。

 まあ、22世紀まで生きている筈も無いが、子供や孫には大いに関係が有る事だから無関心と言うわけにもいかない。

 今日は2学期最初の父母会に行ってきたが、教室内はまるで蒸し風呂状態。今日は雨が降ったので珍しく30℃を下回ったのだが、それでも冷房の無い教室内に入ると滝の汗だった。葛飾区では小学校の全教室に冷房が付いたそうだが、同じ都内でも息子の小学校にはまだ冷房の付いた教室は無い。

 東京は紛れも無く亜熱帯だと思うのだが、夏は38~39℃の気温になる地域の教室に冷房が無いなんて、何だかおかしくないだろうか??

 もうすぐ選挙だが、23区内の小学校の全教室に冷房を付けてくれる事を公約にする候補者がいたら一票入れてしまいそうだな~。

 防犯上、夜も窓を開けっぱなしに出来ない東京での生活だが、7月頃からずっと夜間も冷房付けっぱなしで寝ている。千葉の田舎の家で暮らしていた頃は夏でも夜は冷房は殆ど付けなかった。冷房嫌いなのである。そんな私だが流石に東京の夜は冷房無しでは寝付けない。

 寝る時はクーラーの設定温度を29℃にしている。田舎と違い、アスファルトで固められた地面は夜間は昼間に蓄えた熱を放出するから、夜も気温の下がり方が少ない。29度の設定温度でも外の空気を入れると蒸し暑く感じるから、多分夜中も29度以下にならない日が多いのではないだろうか?

 東京では大抵の家で4月から10月頃まで冷房は大活躍だが、真夏に直下型の大地震が来たら熱中症で亡くなる人も多いだろうな~。

  温暖化は東京のみならず地球規模の問題なのは言うまでもないが、都市部の温暖化のスピードは、そうでない地域よりも早いような気がするのは私だけだろうか?

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もうすぐ国勢調査だが・・・

 首都圏の人口の多さを普段肌身で感じているので一体何人位住んでいるのか調べてみたくなった。

 平成17年8月1日の東京都の推定人口             12,587,075 人

 同     千葉県の推定人口    6,059,418 人

 同     神奈川県の推定人口  8,780,836 人

 同     埼玉県の推定人口    7,077,729 人

 一都三県の合計          34,505,058 人

 平成17年8月の日本の推定人口               約127,600,000  人

 日本の人口の大体3分の1から4分の1位は首都圏の一都三県に住んでいる勘定になる。3,450万人は多いなあ~!

 因みに北海道の推定人口(平成17年7月末)は5,656,730 人、人口密度はどれ位違うんだろう?

                   

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September 04, 2005

何処まで行っても住宅地

 8月下旬、所要で東京東部及び千葉県北西部を中心に車で走り回った。満タンだったガソリンタンクが空になったので、3日間で500Kは走ったと思う。

 主な立ち寄り先は、市川、船橋、西船橋、妙典、南行徳、八千代、野田、運河、南流山、松戸、綾瀬、と言ったところだったのだが、普段殆ど電車で移動しているような所ばかりだった。

 ・・・で、東京に住んで5年になる私だが、新たな発見が有った。

 「首都圏は何処まで行っても住宅地だらけだ」と言う事である。

 都会に住み慣れると、田舎の濃い人間関係が鬱陶しく感じられたりするのだが、田舎の緑溢れる広々とした景色を見てくると、何処まで行ってもアスファルトの道路と鉄とコンクリートで出来た建物ばかりのごみごみした都会の景色が本当にやりきれなく感じたりする。

 住むのに一番良さそうなのは、首都圏にも適当な時間で出られて、自然もある程度残っているような地域かもしれない。

 長引く景気の低迷で、地方経済は特に打撃が大きく、田舎で高給の仕事を探すのは至難の業だと聞いたが、例えば成田辺り、自然もある程度残っていて、航空産業がらみの仕事も有るだろうから住むには良さそうだ。ただ、航空産業も価格競争や相次ぐ事故の影響も有って一時のような活気は無いかもしれない。

 70年周期で起きると言われている関東大震災から82年、東京直下型地震に襲われたら、何処に逃げればいいのか皆目解らない。地震等の災害時に使える、徒歩帰宅者のための地図が売れていると言うが、本当に数十キロも歩いて帰れるのだろうか?

 兎も角、早く脱東京を図りたいが、まだ少なくとも10年間は無理そうだ。

 空気が悪い都会での生活を例えて「薄いガス室の中で生活しているようなものだ」とは誰の言葉か忘れたが、浄水器の他にも空気清浄機も我が家は365日24時間3台付けっぱなしだ。それでも次男と私は東京に越して来てから喘息になった。

 田舎育ちの私は、何時までたっても東京の空気と水には馴染めそうもない。

 

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格安旅行

 阿蘇旅行で最初に宿泊した休暇村南阿蘇、リロクラブから補助券を貰って格安で泊まれた。阿蘇旅行のプランを自分たちで計画したおかげで、主人が会員になっているリロクラブ、上手に利用すると結構安くホテルに泊まれるということに最近になってようやく気付いた。・・・と言う訳で我が家は最近一寸した温泉ブームである。

 9月は草津温泉へ(こちらはJRの特急利用の旅行会社のツアー)、10月は芦ノ湖湖畔の格式有る温泉宿を、やはりリロクラブで格安で予約してある。

 リロクラブ、結構使えてなかなか良いと思っていたのだが、最近ネットでも東京や大阪から送迎バス付きの格安ツアーが紹介されていることに気付いた。

 こう言うツアー、多分トイレ付きのバスを使っているプランは少ないと思うが、トイレが近くない人、車酔いしない人、体力に自身が有る人にはぴったりのプランではないだろうか?

 海外旅行の安いパックツアーに何度か参加した事があるが、バスがトイレ付だったためしがない。海外でOKなら日本でも大丈夫だろう。なんて思うのだが・・・。

 そう言えば、先日テレビで格安ホテル&ツアーの探し方をやっていた。

1.コンビニの機械で、当日または翌日のホテルを予約する。

2.旅行会社の入り口の外の一番目立つ所に置いてある、冊子形式でなく一枚の紙に印刷されているツアーで、期限が近く値下がりしている物を探す。

・・・などが紹介されていたが、その他にも裏技が有るのだろう。

 昨年、オークションで落札したホテルの宿泊券と新幹線のチケットを使って、仙台に一泊旅行した事があった。

 私は大学が仙台だったのであの辺の土地勘は有る。仙台近郊のJR、地下鉄、バスが二日間乗り放題の仙台まるごとパスを使って、仙石線で松島へ、仙山線で山寺や作並温泉を観光して回った。

 結構安い料金でいい旅行が出来たと自画自賛していたのだが、その後暫くして東京⇔仙台間の新幹線の往復チケットと私達が泊まったビジネスホテルがセットになって、格安のツアーとして販売されている事に気付いた。わざわざオークションで落札する必要はなかったのだと知り、少し興ざめした事がある。

 オークションと言えば「ムーンライトながら」の指定席券もいつも出品されている。青春18きっぷと組み合わせて使うと東京-大垣間を格安で旅行できるようだ。若い人にはいいかもしれない。

 土日きっぷや三連休パスの一日使用権なんて言うのも出品されているが、受け渡し場所さえ便利な所なら、これも結構使ええそうだ。

 格安旅行の裏技色々有ると思うのだが、ご存知の方は是非教えて欲しい。

 宜しく!

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September 03, 2005

阿蘇の温泉旅行その3

 阿蘇旅行3日目、筋湯温泉の宿をチェックアウトして、黒川温泉へと向かった。途中八丁原地熱発電所の前を一旦は通り過ぎたのだが・・・。なにやら入り口の看板に「どなたでも無料で見学できます」と言うような文字が書いてあったので、Uターンして発電所を見学する事にした。

 見学者用の駐車場に車を止めて建物の中に入ると、ビデオを上映している部屋へと案内された。地熱発電所を見学するなんて物好きは我々だけかと思ったら、ビデオを上映している部屋には意外にも大勢の人がいて一寸ビックリ。

 ビデオが終わり、案内嬢?の後にぞろぞろ付いて行って、発電用の屋外施設、タービンのある屋内施設を見学した。タービンのある建物に運転監視室があったのだが、ここは無人で、近くの発電所から遠隔操作をしているらしい。たしかにタービン棟内は、タービンの回転音が凄いし(巨大な2機のタービンはそれぞれ一分間に3600回転しているらしい)、その上とても暑い。それになにやら空気も一寸硫黄くさい。呼吸器系の病気を持つ人には一寸厳しいかもと思いながら早々に立ち去った。

 八丁原地熱発電所を後にして待望の黒川温泉へ。次男のリクエストも有って、入湯手形を買って最初に向かった風呂は「新明館」の洞窟風呂。その後男性陣は「御客屋旅館」の代官の湯、私は「いこい旅館」の美人湯と立ち湯に入った。合流して車で「山みず木」の川沿いの露天風呂へ。

 黒川温泉に着いたのが昼前だった事も有り、土曜日にもかかわらず最初の2軒は割合空いていたのだが、「山みず木」に着いた直後に観光バスで団体客が押し寄せ、露天風呂は脱衣カゴも空きが無い位に込み合ってきた。

 それでも風呂が広いので幸い芋洗いという感じではなかったが・・。

 黒川温泉では1,200円出して間伐材をスライスして作ったような入湯手形を買うと、3軒の立ち寄り湯に入ることが出来る。それぞれ経営者の違う多くの旅館が日帰り客に風呂を提供する訳だが、ビジネス的には導入まで大変な苦労があったのではないだろうか。人気がある風呂とそうでない風呂とでは立ち寄り客の数が何倍も違うように思うのだが・・・。

 まあ、入湯手形のアイディアで黒川温泉は全国的に有名になり、観光客が大挙して押し寄せる事に成った訳だから、この手形、大成功なのだろう。それに、宿同士競い合って、特徴のある風呂を作る原動力にもなったのではないだろうか。

 時間が許せは全部の風呂を制覇したいところだったが、とりあえず3軒回って黒川温泉を後にした。

 お湯は筋湯温泉同様硫黄の匂いがする温泉らしい温泉で、湯には白い湯の花が沢山浮いていた。個人的な感想だが、筋湯の方がお湯がトロリとしているような感じがする。

 黒川温泉を出て、近くの「すずめ地獄」へ。ここは冷泉が吹き出ていて、亜硫酸ガスですずめや狐などの小動物が時々死んでいる事から「すずめ地獄」と名づけられたようだ。この冷泉、皮膚病に効くようなので、アトピーの患者用の安く泊まれる湯治施設を近くに作ったらいいのではないかと思った。

 最初の予定では、はげの湯温泉にも立ち寄る予定だったが、カーナビで空港までの予定時間を見ると何とぎりぎりである。予定を変更して昼食も取らずに慌てて空港に向かった。

 幸いひどい渋滞も無く、予定時間より早く空港に到着する事が出来て一安心。熊本空港店でレンタカーを乗り捨てて、空港内のラーメン屋へ。

 私自身はラーメンはあまり好きではないのだが、主人と子供達は大の九州ラーメンファンである。帰省の度毎にわざわざラーメン屋に出かけるのだが、空港内の熊本ラーメン店も必ず利用するので、最近の空港での待ち合わせ場所はラーメン屋の近くのソファーになった。

 かくして一路東京へ。九州の帰省旅行&阿蘇の温泉旅行は終わった。

 圧倒的な緑の阿蘇を後にして、ごみごみして人が多い灰色の東京の生活に戻った。

 

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September 02, 2005

地熱発電所VS.筋湯温泉

 今朝、英語の生教材用に記事を探していたら、とんでもない記事にヒットしてしまった。昨年週刊誌に筋湯温泉と地熱発電所に関する記事が掲載されたようだが、記事そのものが古いこともあり日本語バージョンはもう見当たらないようだった。英語の新聞記事の方をそのまま載せるが、(真ん中より下のBathers milked by rip-off spasを参照。)白骨温泉の温泉の元混入や伊香保温泉のホテルが水道水を温めた水を使用していた事などと並び、筋湯温泉の事が紹介されていた。

 筋湯温泉に関係する部分だけ内容を抜粋して以下に要約を紹介してみる。私は勿論翻訳家ではない・・と言うよりか英語の実力はずぶの素人なので誤訳があるかもしれない。記事の内容について詳しいことを知りたい人は英文記事のほうを読んで頂きたい。

 「1000年の歴史を持つ筋湯温泉だが1967年に地熱発電所が近くに出来てから温泉が枯渇してしまった。地熱発電所の水蒸気から作られたお湯が筋湯温泉に供給されたが、6年後その水が大量の砒素を含む事がわかったため、1977年からは他の発電機からの水が使われている。」

 週刊誌に掲載された日本語の記事の方では「地熱発電所の廃水」という表現が使われていたらしい。

 実は、筋湯温泉に泊まった翌日、旅館をチェックアウトしてからすぐ傍の「八丁原地熱発電所」を見学してきたばかりなので、何だか複雑な思いだ。

 記事の信憑性についてはわからないのでなんともコメントのしようがないが、仮に発電で使った蒸気を再利用していると仮定しても、有害な成分が入っていない事や、発電用のタービンを回した際にオイルなどが混入していない事が検査で証明されれば、むしろ他の温泉より安心だし湯治客への薬効は十二分に有ると思うのだが・・・。

 私が住んでいる地域は、水道水は金町浄水場から供給されている。我が家では水道の元栓近くに強力磁石を取り付けているし、台所にはシンク下にビルトインの高性能の浄水器を取り付けている。風呂水にはビタミンCを入れて残留塩素を除去するようにしているし、シャワーヘッドにも簡単な浄水フィルターを取り付けている。

 金町浄水場の取水は江戸川で行われている事を考えると、我が家が普段使っている水も、単に上流の人達の生活排水が混じった水を再利用しているだけだと言えなくはないだろうか?

 いくら気をつけても、普段廃水を再利用して生活している事には違いがないだろう。まだ地熱発電所の蒸気の再利用(真ん中より下の地熱発電所レポート八丁原発電所を参照。)の方が安全だと言う気がするのだが・・・。

 久住町に住んでいたことがある私は、筋湯温泉には幼い頃の思い出が有る。個人的にはこれからも筋湯の温泉組合の皆さんには大いに健闘して欲しい。

 筋湯温泉、いい温泉だと思うけどな~。

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September 01, 2005

阿蘇の温泉旅行その2

 阿蘇旅行二日目、休暇村を出てバスで高森駅まで。ここで両親は自宅に帰り、我々家族は別行動。帰りもトロッコ列車ではなく普通の電車で赤水まで出て駅前でレンタカーを借りた。もうすぐ赤水駅に「あそボーイ」が着く時刻だったので、赤水駅構内であそボーイを待った。

 相変わらずカメラを持った人が沿線や駅構内に沢山いた。黒煙を上げながら列車が近付き、赤水駅に停車した。大勢の乗客を乗せて、車両は満員だったが、多分7割は車両の後ろに連結されたディーゼル機関車の力で走っているのだろう。

 暫く赤水駅に停車して、蒸気を上げながらあそボーイは去って行った。あそボーイが去る時、何故か涙がこみ上げてきた。

 私は鉄道ファンでもないのだが、自分の青春時代の一時期、時代を共有した蒸気機関車がいよいよ引退するのを見るのはやはり辛いものだ。

 気を取り直して、駅そばのファミリーレストランで食事をしたのだが、余りの安さにビックリ!東京価格に慣れている我々には一寸したカルチャーショックだった。

 満腹になったところで阿蘇火口見学へ。火口周辺の地層がとても美しい。火口見学を終え、明日湯めぐりをする予定の黒川温泉の下見をしてから今夜の宿筋湯温泉へ。

 子供の頃家族でよく来た筋湯温泉だったが、当時の記憶の中の景色には出会えなかった。黒川温泉が脚光を浴び一寸寂れた感じの筋湯温泉だが、温泉力と言う見地で見れば黒川には負けてないんじゃないかな?

 泊まった宿も、源泉かけ流しの2つの内湯&露天とお風呂は充実していた。ただ、宿泊のみで素泊まりで頼んだのが間違いの元だったようだ。マンションの向かいにコンビニが有り、隣の隣にはスーパーが有る冷蔵庫要らずの生活に慣れている私たちは、田舎にもコンビニが有るものだと高をくくっていたのだが、みやげ物店以外に食料を調達できそうなお店も、レストランらしきものも無い。結局三愛レストハウスのコンビニまで行き、何とか食料を調達できた。

 それに、宿はレトロと言えば聞こえはいいが、布団をはじめ色々な備品がちょっと古すぎて、都会の新築マンション住まいの息子たちにはカルチャーショックがきつすぎたようだ。

 兎も角いいお湯につかり、今日の疲れを取って、川の音を子守唄に眠りに就いた。DSC07789

 

 

赤水駅に停車中のあそボーイ                      2005年8月26日 撮影

DSC07800

阿蘇山火口付近の地層

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August 28, 2005

阿蘇の温泉旅行その1

 法事で熊本県の主人の実家に帰って来た。家族4人で帰省したのだが、ただ実家に泊まるだけではつまらないので、阿蘇方面に2泊した。

 一日目の最初の予定は熊本駅構内。引退が決まった「あそボーイ」を見に行った。阿蘇方面の列車が出る0番線には、紀念グッズ販売の臨時コーナーが出来ていて大盛況だった。我が家も次男があそボーイのチョロQ、マグネット、絵葉書を購入。

 0番線のホームは、あそボーイの写真を撮る人達でごった返していた。その中でも、ご老人の数が多いのにはビックリ。

 私が中学生の頃ぐらいまで、SLは人吉・八代間を現役で走っていた。その後SLは湯前線を走るだけとなり、数年後に引退した記憶がある。確証は無いが、湯前線を引退した機関車は、その後、観光列車として、「あそボーイと」と言う年齢に似つかわしくない名前を与えられ、老骨にむち打って頑張ってきたのではないだろうか。

 そう言う訳で、中学高校時代を人吉で過ごした私は、あそボーイの機関車には思い入れが有る。多分あそボーイの写真を撮りに来ていたご老人の多くは、私と同じように、列車「あそボーイ」では無く、この8620型機関車そのものに思い入れが有る人達なのだろう。

 あそボーイの指定席券、一ヶ月前の発売と同時にネットで申し込んだのだが取れなかった。多分数秒で完売だったのだろう。仕方なく、あそボーイより一足早く、我々は普通の列車で立野へと向かった。

 立野からはトロッコ列車で高森へと向かうはずだったのだが・・・。あそボーイ人気の影響か、立野から高森まで行くトロッコ列車も激混み。結局満員で乗れなかった。

 ともあれ、またまたお目当ての列車に乗れず、トロッコ列車より一足早く普通の列車で高森へ。高森駅前からタクシーに分乗して、母が見つけて来た炭焼き地鶏料理の店「らくだ山」へ。

 地鶏は噛みごたえが有って歯が弱い人には一寸不向きかもしれないが、ここの雰囲気は都会には一寸無い。板の間に10個あまりも切ってある囲炉を囲んで、地鶏とキャベツ・玉葱・ピーマンなどの野菜を炭火で焼きながら食べるバーベキュー形式だ。

 建物は古い民家を移築したのだろうか、立派な材木を使ってあるし、天井も非常に高い。床や壁もフローリング用の床板などではなく、ちゃんと無垢の木を使ったものだ。壁の上の方に色々な形ののこぎり型の装飾があってアクセントとなっている。地鶏の油や醤油が炭火でこげる煙は強烈だが、空間的にはとても落ち着く美しい空間だ。

 高森駅から乗ったタクシーで「らくだ山」と行き先を告げたら、運転手さんがわざわざ無線で頼んで本部から電話してくれ、予約を取ってくれた。雰囲気のいいお店でマスコミにも紹介されたらしく、いつも大変混んでいるそうだ。実際我々が帰る頃には、順番待ちの人達が店の玄関前にしつらえられた長椅子で待っていた。

 ところでここのトイレの入り口の上にかかっていた木の看板みたいなのに書かれていた言葉が秀逸だった。はっきり覚えていないのが残念なのだが、たしか「急げども ふちにこぼすな 松茸の汁」だったような気がする。(爆笑)店主のセンスが伺える名文句だと思った。

 地鶏の炭火焼きを満喫して、一泊目の宿、休暇村南阿蘇に。

 休暇村は、両親がQカードの会員で、リーズナブルな「孫と一緒」プランを申し込んでくれた。それに、主人がリロクラブの会員だったおかげで、さらに宿泊の補助券をGET出来た。

 格安プランにもかかわらず、部屋はマウンテンビュー。眼前に壮大な根子岳・高岳・烏帽子岳を望む絶景である。8畳に家族4人は少し狭かったが、この景色があれば許せると言うものだ。残念ながら風呂は温泉ではなかったが、格安で泊まれた事を考えると文句は言えないと言うものだろう。

  続く。

 

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August 10, 2005

阿蘇旅行 さよならあそボーイ

 今、8月下旬の帰省に引っかけて、阿蘇方面への旅行を計画している。今も噴火を続けている火山「阿蘇山」のお膝元だけあって、阿蘇には湧出量豊富な温泉が多数ある。その中でも近年とみに有名になったのが黒川温泉だが、その周辺、例えば南小国町、小国町辺りにも魅力的な温泉が多数有りそうだ。、

 一泊目は高森の方にある休暇村に宿泊予定、二泊目は大分迷ったが結局県境を少し大分に入った筋湯温泉の湯治宿になりそう。参加型の旅行&温泉三昧を目指して、あそBOYの雄姿を見た後トロッコ列車乗車、阿蘇登山や(ロープウエイを使って火口へ行くだけだが)はげの湯温泉、黒川温泉の湯巡り、ファームランドでの乗馬&動物とのふれあい等を予定している。

 ところであそBOY、今年の8月で引退のようだ。

 昔、私がまだ中学生だった頃、人吉に住んでいた事がある。その頃はSLはまだ現役で人吉から八代に出る時にはSLに乗って行った記憶がある。その後しばらくたってSLは湯前線を走るだけになった。勿論湯前線からもSLはとっくの昔に引退したようだ。

 あそBOY、多分同じ機関車だろうが、最後にSL人吉号として球磨川鉄道も走るようだ。

 観光列車としてのあそBOYには思い入れは無いが、蒸気機関車には思い出が沢山ある。引退に際して残念な気持ちでいっぱいであるが、ご苦労様とも思う。心から敬意を表したい。あれから約30年経って、少女は中年のおばちゃんになった。第二の人生で「阿蘇の少年」と言う名を与えられた大正11年生まれのロートル機関車あそBOYはその一生を終えようとしている。さよならあそBOY、ありがとうあそBOY。

 

 

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August 08, 2005

貨物船の旅

 お世話になった知人夫妻が今朝4時青海埠頭からコンテナ船でカリフォルニアに発った。1967年に来日し38年間日本で過ごした訳だが、来日当初はどんな娯楽が有ったのかと思う。最近のように、衛星放送や二ヶ国語放送が自宅で手軽に視聴でき、レンタルビデオ店で気軽にビデオやDVDをレンタル出来る時代ではなかった頃、楽しみはテレビの相撲番組などであったようだ。

 異国での38年間に思いを馳せると、万感の思いであったろう。

 乗船は昨日午後7時頃、ペナンの上院議員?と言う不思議な名前の貨物船を見送りに青海埠頭へ急いだ。

 本当は間近でお別れが言いたかったのだが、コンテナ埠頭に一般人が入っていいものかどうか解らず断念した。その代わり、埠頭のすぐ隣のテレコムセンタービルの21階の展望台から船を捜した。

 双眼鏡越しにお世話になったA婦人らしき臙脂色のドレス姿が見えた。どうやら車で見送りに来た人も数名居たらしい。その人達の姿を確認して、私も電車なんかじゃなく車で来るべきだったと後悔した。

 携帯で数枚写真を撮り、婦人の姿が消え見送りの人が居なくなるまで展望台の双眼鏡で見続けた。

 家に帰ったがなかなか寝付けなかった。午前4時12分、確かに心の中で出航を告げる汽笛の音がした。東京湾に設置されているいくつかのライブカメラのページを開いて、貨物船を探した。見付けられなかった。

 知人夫妻にとって、38年間の日本での仕事を終えられ帰国すると言う事はめでたい事なのだろう。素直に喜ぶべきだが、これから一生会えない可能性もあることを思うと、胸がつぶれそうな思いだった。

 航海の無事と、退職後の母国での幸せな生活を祈って。

 本当にありがとうございました。

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