名園

June 17, 2009

三渓園

   月曜日は県民の日で次男の学校が休みだったので、三渓園に行ってきた。

 折角だから、G1の試し撮りをしてこようと、カメラと三脚持参で出かけたのだが・・・。曇り空だったが、ついついPLフィルターを装着したままにしてしまい大失敗。出来上がった写真は、画面が暗く写ったり、暗い場所で撮ったものやズームで撮ったものは手振れをしたりと散々な結果だった。

 暫くPLフィルターを使うのは青空の晴れた日と、反射光を調整したいときだけにしておこう。

 広い園内は、花菖蒲やアジサイが見頃だった。晴れていたらもっと美しい写真が取れたのだろうが、色々計算ミスでもう少し経験を積まないと意図した写真は撮れそうもない。

 それでも、園内案内をかねていくつか写真を紹介してみる。

P1000255_2  根岸駅のホームに着くと、新日本石油マーク入りのすごい数のタンク車が停まっている。近くに新日本石油の工場があるのだろう。P1000257_3

  根岸駅からバスで本牧方面に。本牧通りから桜道を通り抜け徒歩で三渓園に向かう。

P1000259  流石本牧、桜道周辺には豪邸が多い感じだ。

P1000399_6 
  暫く歩くと三峡園入り口が見えてくる。

 
P1000267  園に入ると、大きな池があり、花菖蒲が咲いていた。小山の頂には塔も見える。

P1000272_2  池の周りに数々の歴史的建造物が移築されていて、建物や庭を鑑賞するだけでも結構歩き周らなければならない。

P1000274  右の写真は鶴翔閣。1902年(明治35年)三溪が建て、三溪園造成の足がかりになった。 上空から見た形があたかも鶴が飛翔している姿を思わせることから、“鶴翔P1000276_3 閣”と名づけられたそうだ。

   御門をくぐり、さらに周辺の建物を見学。

P1000279  何しろ建物が沢山あって、移築の費用はいくら位かかっただろうかとか、そういう無粋な話をしながらP1000280_3 ひたすら歩く。

 所々に植えられた竹の林も美しく、自然な感じで庭を引き立てるのに一役買っている。
P1000284
  狩野派によって描かれた襖絵だろうか?古色を帯びた襖絵が、栄華を伝えている。

P1000287  裏庭に足を踏み入れると、そこは美しい苔庭だった。

P1000295  さらに園内を歩いていくと、三代将軍徳川家光により建てられたと伝わる聴秋閣が見えてきた。400年近く前に建てられた建て物はどんな歴史を見てきP1000297 たのだろう。優美な姿だ。


P1000303_3   

 階段を上ったり降りたりして、さらに散策を続ける と・・・・

P1000306_2   

 茶室の前にドンという感じで置かれていたのはなんと石棺。何世紀ごろの物だろうか?

P1000311_2  どんどん坂を登っていくと展望台が現れた。原三渓が三渓園を完成させた頃は白砂青松の風景が広 P1000318_4がっていたのかもしれないが、展望台から今見えるのは新日石の精油所らし い建物である。ここにタンカーを横付けして生成した石油を、根岸駅前に停まっていたすごい数のタンク車で運ぶのだろうか?
P1000327_2
 展望台を抜けると、旧燈明寺三重塔が見えてきた。1457年建築というから、阿修羅像で有名な興福寺のP1000336五重の塔が建てられた年代(1426年)とほぼ同時期、室町時代に建てられた塔である。

 休憩所で一休みしてからまたそろそろと歩き始める。

P1000338_2  暫く行くと 旧矢箆原家住宅の大きなかやぶきP1000346 屋根が見えてきた。合掌造の民家で、 白川郷にあった物がダム建設により三溪園に寄贈されることになり、1960年(昭和35年)に移築されたらしい。華奢で優美な感じの建物が多い三渓園の中で、どうもこの民家には違和感を感じたのだが、案の定、原三渓没後に移築されたようだ。
P1000350_2
P1000368_2   旧矢箆原家住宅は建物内を見学できるようになっており、2階まで上ってみたのだが、豪雪地帯で冬が厳しいところだから、機密性に富んだ部屋に区切られた空間かと思いきや、普通の日本家屋同様、戸を開けると風通しが良さそうな構造だ。それP1000375 にしても、中は非常に暗くて、囲炉裏でいぶされたP1000391 においとカビのにおいとが混じったような古民家特有のにおいがした。

 今回は風景写真のモードに合わせて簡単に撮ったし、PLフィルターをつけたままにしてしまったのでピンボケや暗い写真が多かった。

 次に出かけるときは、前もって説明書を読んで少し研究してから行った方が良さそうだ。

 

October 31, 2006

江戸・東京探訪:清澄庭園

Img_0011  今日も仕事の後にいつものように千疋屋のCaffe di FESTAへGO!(笑) 今日は今週のソフトクリーム「白桃」をたのんでみた。

 私的なランク付けではシェーク=サンデー>ソフトクリームって感じかな?

Img_0153  その後、地下鉄を乗り継いで清澄白川駅側の、清澄庭園と、江戸六地蔵がある霊巌寺に寄ってみた。

 江戸六地蔵については全部廻り終えた時点で紹介しようかと思っているから、今日は清澄庭園を紹介してみる。

Img_0097  清澄庭園は、江戸時代の大名庭園に代表される、池を中心にして回遊しながら景色の変化を楽しめるようになっている庭園で、「回遊式築山山水庭園」と言うらしい。

Img_0094  この庭園の地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられている。その後、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、その頃に、ある程度庭園が形づくられたようだ。

Img_0120_1 明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、一応の完成を見る。

Img_0125  弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配し、明治時代を代表する庭園が完成する。

Img_0063  この庭園、関東大震災の時に避難場所としての役割を果たしたらしい。震災では火災も発生するから、池が有る広い日本庭園は避難場所にはうってつけかもしれない。

Img_0107  園内で目に付いたのは、鳥や鯉や亀などの動物達。こう言う環境を終の棲家に出来るというのは幸せな事じゃないだろうかと思いつつ眺めた。

Img_0084 園内の売店で鯉の餌用の麩を売っていた。池に近付くと餌目当ての鯉が沢山集まって来たが、その大きい事!こう言う広い池で、ストレスも少なく、餌も沢山貰っていたらそりゃ大きくなるだろう。

Img_0088 園内、奥のほうには石仏や松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の石碑があった。芭蕉庵はこの庭園の近く、深川に有ったようだ。

Img_0079 また、岩崎家が自社の汽船を用いて、全国の産地から集めたと言う各地の石が無数に配置されていたのも印象的だった。

Img_0115  庭園内の鯉や亀、カモなどの鳥が一寸羨ましいと感じた一日だった。11月下旬~12月上旬位に行くと紅葉が見事かもしれない。

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