昨日、新宿御苑と古河邸に行って来た。
どちらも紅葉が美しく、3脚と大きな一眼レフを携えたアマチアカメラ愛好家で賑わっていた。
旧古河庭園について、Wikipediaの説明を下に引用してみる。
旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)は、東京都北区にある小川治兵衛作の洋風・和風庭園。2006年に国の名勝に指定された。当初、陸奥宗光のものであったが、陸奥の次男であった潤吉が、古河財閥創始者である古河市兵衛の養子となったために古河家に所有が移った。1917年、古河家三代目の古河虎之助によって現在の古河庭園が造られた。建物の設計者は明治から大正期にかけて多くの洋風建築を手がけたジョサイア・コンドルである。その後、終戦後は国の所有となった。後に東京都に譲渡され1956年(昭和31年)に一般公開された。
上の説明によると、戦後、この邸宅と庭園は国の所有になったとあるが、戦後は進駐軍の将校の宿舎として暫く使われていたようだ。その後、長い間無人の状態が続き、さながら幽霊屋敷と化していたのを、数年かけて修復して、現在に至っている。
私は一ヶ月ほど前に往復はがきで申し込んで、建物の内部の見学もさせて貰ったのだが、私が申し込んだ回には随分空きが有ったらしく当日玄関で見学を申し込んだ中年の女性グループも沢山いた。
ジョサイア・コンドル建築の建物は、他にも下記のような物があるが、このうち、旧岩崎邸と、ニコライ堂は実際に見に行った事がある。
日本の近代建築の父、ジョサイア・コンドルの詳しい経歴についてはここを参考にして欲しい。
鹿鳴館(1883年、現存しない)
ニコライ堂(1891年)
三菱一号館(1894年、現存しない)
丸の内に復元するプロジェクトがある。(2006年着工)
岩崎久弥邸(1896年頃、湯島、旧岩崎家庭園)
岩崎弥之助邸(1908年、高輪、三菱開東閣)
三井倶楽部(1913年)
諸戸邸(1913年、桑名市、六華苑)[1]
島津邸(1915年、清泉女子大学)
岩永省一邸(1912年、一部が現目黒雅叙園旬遊紀)
古河邸の邸宅については、荒れ果てていた時間が長く、修復の際に新しい壁紙に張り替えられたのだろう、昔の輝きは失われていた部分も有った様な気がするし、岩崎邸の方が元の姿を良くとどめているような感じがした。
虎之助の夢の跡を見、コンドルの遺香をかいだと言う切ないような思いに囚われつつ、日本庭園内に有るお茶室にて、お茶とお菓子を頂いて帰った。
「バラ色と紅に彩られし古河邸、げに儚きは浮世の夢かな。 水幸」
新宿御苑
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sikaku
旧古河邸庭園
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