江戸・東京探訪:神社編

June 07, 2010

鳥越まつり

Img_8635copy_2  今日は日中次男にノルマ分の勉強をさせた後、二人でカメラを持って鳥越神社のお祭りを見に出かけた。

_mg_8835copy 鳥越神社のお祭りは、朝早く出かけて次男が町会の太鼓を引っ張るロープを引かせてもらった事がある。あの頃は次男もまだ小学生だった。見学をしていたら、町会の役員のような人に「お兄ちゃんも一緒に引っ張るかい?」と言われ、太鼓を引っ張って町内を一周、ハンバーガーやらおやつやらが入った袋を頂いた。

Img_8601copy_3 前回に比べたら背丈が20cm以上高くなった次男と二人で今日は夜の祭りのクライマックス本社神輿の宮入前の渡御を撮りに行った。暫く待っていると猿田彦(天狗の姿をしている)や手古舞連に先導され巨大な本社神輿が近付いて来る。

Img_8751copy  土曜日にアド街ック天国で祭りを紹介していたから相当の人出が予想されたせいか、警備はとっても厳戒で、警察の若い人たちが2重になって御神輿渡御の周りを固めていた。

_mg_8850copy  ここの本社神輿は千貫神輿と言われる大きくて重い御神輿である。狭い下町の道路を渡御するために担ぎ棒が太く短いので担ぎ手の負担は相当な物らしい。

Img_8679copy  写真はISO感度を最初は1600にして撮影したのだが、まだシャッタースピードが遅いと感じたので3200にして撮影。それでもぶれていたりピントが甘いのものが多く、夜の動く被写体の撮影の難しさを痛感した。

August 17, 2008

富岡八幡宮例大祭

Rimg0428  今日は3年に1度の富岡八幡宮の本祭りの最終日。54基の大神輿の連合渡御が行われた。

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 昨日 まで猛暑だったので行きそびれていたのだが、今日は雨で比較的涼しくなった。雨だから人でも多少減っているのではと見込んで、次男と二人で『江戸っ子魂』のバックプリント付きTシャツを着込んで出かけた。(笑)母親とペアルックしてくれるのも多分今年が最後だろう。

Rimg0420  深川は、家康が江戸に入った時は一面の葦の原だったようだ。そに、摂津の国から深川八郎右衛門が一族を率いて移ってきた。

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Rimg0444  家康がこの地を訪れたときに八郎右衛門に地名を尋ねたところ、「住み人も少なく、地名もございません」と答えた。それで家康は「以後、深川とするように」と言い、それ以降、八郎右衛門家は名主を務めるようにようになったと伝えられている。

Susaki  葦の原だった深川は、明暦の大火(1657)の焼け土を運んだり、江戸中のごみ芥で埋め立てられたようだ。かつて深川の東方の海に面した地域は洲崎といい、湿地をごみなどで埋め立てて新田開発が行われ、十万坪と呼ばれた。現在の江東区扇橋・石島・千田・海辺・千石あたりのようだ。
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Rimg0426_2  深川八幡には幕府御用達の材木問屋で豪商の紀伊国屋文左衛門が寄進した純金張りの神輿が三基有ったが、:関東大震災で消失してしまったようだ。

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Rimg0460 その後、平成3年に日本―の黄金大神輿が奉納され宮神輿が復活したが、その大きさゆえに毎年担ぐことがかなわない為、新たに宮神輿を製作し、二の宮として平成9年の例大祭で渡御したようだ。

Rimg0461  新しい黄金大神輿は、法王の目にダイヤが嵌め込まれていて屋根は純金で葺かれているようだから、文左衛門が奉納した神輿に負けない位豪華なのに違いない。

Rimg0432  富岡八幡宮のお祭りは深川八幡祭りとも呼ばれ、日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と共に、江戸三大祭の一つに数えられている。
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Rimg0406  江戸時代、深川には大半が永代橋を渡って来たようだが、文化4年(1807)のお祭りの時には、人の重みで橋が崩れて大勢の人が亡くなったようだ。
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Rimg0450  深川八幡のお祭りは「水掛け祭り」とも言われるようで、沿道から大量の水が神輿と担ぎ手に掛けられていた。今日のように雨模様で肌寒い日は、担ぎ手はびしょ濡れで寒かったのではと思われた。

November 22, 2007

蔵前神社

Rimg0570  昭和30年代生まれの人は懐かしいだろうが、子供たちが好きな物は「巨人・大鵬・卵焼き」と言われていた時代があった。そのころ、相撲の本場所の中継は蔵前国技館からであった。
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Rimg0572  両国に2代目両国国技館が建てられる前、国技館は蔵前に有った。昭和29年から59年まで、蔵前国技館で東京での大相撲本場所を開催していたようだ。

 そもそも国技館は両国に有ったようだが、戦後GHQにより両国国技館が接収され、相撲興行が出来なくなった。このため、神宮外苑の野天相撲や浜町の仮設国技館などで興行を続けていたが、本格的な興行場所を求めて蔵前に国技館が建てられたようだ。

Rimg0554  蔵前と言う場所は江戸時代から相撲と縁が深く、蔵前神社の境内で勧進大相撲が開催されていた。文政年間までの70年あまりの間に23回も勧進相撲がおこなわれ、両国回向院・深川八幡宮と並んで勧進相撲三大拠点のひとつと呼ばれていたようだ。
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Rimg0556  国技館が両国や蔵前に建てられたのも、こうした江戸時代からの伝統故だろう。

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 今日は江戸時代に勧進相撲が行われていたと言う、その蔵前神社に寄って来た。

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Tanikaze  蔵前神社での勧進相撲で有名な一番は、天明2年(1782年)二月場所七日目、安永7年(1778年)以来、63連勝していた谷風が、新進の小野川に「渡し込み」で敗れた一番で、この時は江戸中大騒ぎとなったようだ。
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Tanikaze  その谷風だが、44才の時にインフルエンザで亡くなっている。身長189cm体重169kg、無敵の横綱もインフルエンザには勝てなかったようだ。

 蔵前の地には、昭和の時代、蔵前が国技館の人出で賑わっていた頃に建てられたと思われる建物が幾つか有り、何だか懐かしい感じがした。

 

November 06, 2007

王子稲荷

 今日は病院の後、いつもとは違う院外処方薬局に行って来た。

 昨年から、アレルギーリウマチ内科へかかっていたのだが、今年は痛みの治療の為、リウマチ内科から麻酔科に紹介していただいていた。

 麻酔科の先生に相談して、漢方薬が得意な先生を紹介していただくため、一旦総合内科にかかって、総合内科の先生から漢方薬が得意な先生へと紹介をしていただいていたのだが、今日がその初診だったのだ。

 女性の漢方の先生の問診は懇切丁寧で、私の症状に合わせて煎じるタイプの漢方薬を処方してくれたのだが、何しろ煎じるタイプの漢方薬なんぞ普通の薬局には置いていない。・・・で、紹介された病院近くの漢方薬の薬局に行ってみたと言う訳。

 この薬局、入っただけで漢方薬の匂いがプーンと立ちこめている。煎じる為の土瓶や、コーヒーメーカーみたいな漢方薬を煎じる専用の電化製品が置いてあった。

Nec_0293  薬局を出た後、近くの「近江屋洋菓子店」に入り、ツナデニッシュとフランスパンベースのポテトサンドとドリンクバーでしばしまったり。ここのパンは非常に美味だった。ドリンクバーもボルシチと冷たいジュースやお茶数種類とコーヒーや紅茶やホットチョコレートなど色々揃っている。私はボルシチを少しとホットチョコレートとイチゴ水を頂きすっかりお腹一杯になってしまった。

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Nec_0297  その後、王子まで足を伸ばし、中学校の入学願書を頂いて来た。折角王子に来たので、今日は王子稲荷に寄ってみることにした。(←写真は途中で見つけた「平和祈念像」。長崎の平和公園にあるものの小型版だ)
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Kitune  広重は、王子の風景を何枚か描いているが、名所江戸百景の「王子装束えの木・大晦日の狐火」の後ろに描かれている森が王子稲荷である。この絵は次のような伝説をもとに描かれた物であるらしい。

 王子稲荷は関東八ケ国の稲荷の総元締めで、圏内の狐に位階を授けるという。毎年、大晦日の夜、社にほど近いエノキの下に集った狐はここで衣装をととのえて稲荷社に参上する。近在近郊の農家では、狐が灯すキツネ火の量で新年の豊凶を占った。   

Nec_0300  目指す王子稲荷は、敷地内で幼稚園をやっていて、表の参道からは入れなくなっていた。脇に回るように書いてあるので、脇の入り口から神社に入り、お参りして御朱印と絵馬と次男へお守りのお土産を頂いて来た。
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Rimg0539  ここの絵馬は上で紹介した「王子装束えの木・大晦日の狐火」の柄と、脱衣婆のような柄の2種類だったが、狐火の方を頂き、お土産として家に持って帰った。

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Nec_0319  近年では、この浮世絵をもとに、大晦日除夜の鐘とともに夜空の下、人が狐に化けて紙の裃や狐面で装束を整えちょうちんの火をかざし、関東総社の王子稲荷へと行列する「狐の行列」が行われているようだ。(←写真は何故かこの一匹だけ「変顔」のお稲荷さん)

October 28, 2007

天神めぐり

Rimg0539  今日はいつものように次男を早く起こし、朝勉をさせ、荒川河川敷で行われるレガッタ大会を見に行った。河川敷でカヌーの体験教室などが有ったので、最近カヌーに凝っている次男と一緒に平井まで出かけ、駅から1kほど歩いて河川敷を目指した。(←写真は途中で見つけた庚申塚。建物の中に取り込まれていた。土地が高い東京らしいなぁ)
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Rimg0540  河川敷に着くと、何やら叫んでいる人が居る。よく聞いてみると「昨日の台風の影響で本日予定されていたイベントは全て中止になりました」と言っているではないか・・・。
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Rimg0546  なるほど、テント設営用の機材だけは積まれているが設営されているテントは一つも無い。昨日の強風の影響でテントの設営が出来なかった為、今日は絶好の好天にも関わらず全てのイベントが中止になったようだった。
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Rimg0550  「東京の住民は台風に弱いなぁ~」と、九州出身の私はあきれながら、仕方なく来た道を駅に引き返した。

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Rimg0558  荒川でカヌーを漕げると思い早起きして朝勉した次男はどうにも収まらないようだったので、仕方なく何処かに行こうかと提案したのだが・・・、結局次男の希望で湯島天神と亀戸天神のはしごをすることになった。

 JRで上野まで移動し、不忍池の脇を通って湯島天神へ。

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Rimg0562  どちらの神社も七五三の親子連れで賑わっていたし、菊祭りの準備がされていた。学業成就関連グッズを色々買って散財したが、湯島天神では普段入らない宝物殿を拝観し、湯島天神を描いた広重の浮世絵を数枚見ることが出来たから、まあそれなりに収穫は有ったかな?

Rimg0564  それにしても、どちらの天神様にも数回ずつ行っているから、地図無しで行ける自分がおかしかったりもする。

October 24, 2007

湯島天神:菊祭り(もうすぐ)

Nec_0270  仕事の後に病院の予約を入れていたのだが、今日は病院の帰りに「湯島天神」に寄ってみた。

 先々週は歩いて御茶ノ水方面に抜け「湯島聖堂」に寄って帰ったのだが、今日はやはり歩いて「湯島天神」により、上野駅へ。次男の受験が迫っているが、何しろもう神頼みするしか無い感じなのである。

Nec_0272  先々週寄った湯島聖堂でも絵馬を奉納してきたが、今日も絵馬を頂いて合格祈願のお願いをしてきた。次男へのお土産用にボールペンとシャープペンシルのセットも購入。勿論御朱印も頂いてきた。

 湯島天神は11月1日から菊祭りが開催されるようで、境内には大懸崖や盆庭、千本咲き等の大きな鉢や、一本咲きの競技花など、既に殆どの作品が展示されていた。

Nec_0262  一本咲きの花はもう咲いている物も多かったが、大作りの鉢はまだまだつぼみの物が多かった。
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Nec_0263  ←(暖簾の菊正宗の文字が可笑しい)

 大作りの鉢が咲き誇ったら見事だと思うが、菊祭りの期間中は混みそうだから、菊祭りが始まる11月1日の前日、10月31日辺りに行くのがベストかもしれない。

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Nec_0278_3  帰りは上野の松坂屋で茶系の通勤用の靴を購入。通勤用の茶色のを探していたのだが、なかなか適当なのが見付からなかった。今日、セールをやっている靴の中で履きやすそうなデザインの物を見つけたのだ。
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Nec_0281_2  その後アメ横をぶらついて、閉店セールをやっていたお店でついつい525円のカシミア?のマフラーを購入。(笑)

: 散歩は良いけど、お買い物は控えないとなぁ~。

 

July 02, 2007

浅草神社:七夕飾り作り

 今日は、次男と二人で、先日浅草に行った折申し込んでおいた、浅草神社の七夕飾り製作教室に行って来た。

Img_3792  浅草神社は三社祭で知られる神社で、三社祭の日には町内会の神輿等も合わせて100騎程が繰り出す盛大なお祭りである。

 浅草神社は浅草寺の隣に有って、浅草寺に比べると今一知名度が低いような印象を受けるのだが、明治政府の神仏分離令により浅草寺と分けられるまでは一体だったようだ。

 三社祭の名前の由来となった「三社」とは浅草神社の御祭神である、「桧前浜成・竹成兄弟」と「土師真中知」の3人の神様のことらしい。
神社の由緒には下記のように有った。

 漁師の桧前浜成・竹成兄弟とが隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐(えんじゅ)の切り株に安置しました。そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。
 兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされた二人は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念しました。
  翌十九日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。
  土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源です。
 土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。

Img_3801  左はお神輿を入れていると思われる蔵の写真。蔵の扉にある神社の社紋、随分モダンな感じだと思ったが、上記の話にある、人型の像がかかった「網」を表しているらしい。

Img_3800  今日の七夕飾り作りでは、社務所内で、折り紙を使って思い思いの七夕の飾りを作り、また、願い事ではなく、その願いが叶うように自分が何をするか誓った「誓い言」を短冊に書いた後、社殿で誓い言を書いた短冊のお払いをして頂き、その後笹竹に自分が作った飾りや短冊を付けた。

Img_3798  最後に社殿前で記念写真を撮って、お菓子を頂いて解散となった。

 この神社、1月7日の人日の節句(七草の節句)には百人一首かるた取り大会や、夏休みには小学校高学年を対象に1泊2日の体験学習も行っているようだ。神社の仕事に興味がある人は体験学習に参加してみてはどうだろうか?

 

June 28, 2007

穴守稲荷

Nec_0001_5  今日は羽田に有る穴守稲荷に行って来た。

 社史によると、穴守稲荷の概略は以下の通りである。(穴守稲荷のパンフレットを要約して現代文に書き換えた。書き換えた際の間違いが有りそうなので、詳しくは神社のホームページを見て欲しい)

Nec_0002_2  文化元年(1804年)の頃に鈴木新田(現在の羽田空港内)開墾の際、沿岸の堤防が激しい波のために被害を受け、大穴を生じ海水が浸入しそうになったことがあった。そこで村民は堤の上に稲荷大神の祠を作る事にした。

 その後、爾来神霊のご加護のおかげか、風浪の害も無く五穀豊穣であった。

Nec_0003_3   「風浪が作ったの害から田畑を稲荷大神」と言う事で、穴守稲荷と呼ばれるようになった。

 終戦後、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より48時間以内の強制退去を命じられ、地元の崇敬者有志により境内地7百坪が寄進され現在地に遷座された。

Nec_0006_2  この社史を読んでいて、「平将門の首塚には手を出せなかったGHQも穴守稲荷は強制退去させられたのだ・・」と思ってしまった。

 因みに将門の首塚(東京都千代田区大手町1-2-1外)には以下のような話が有る。

Nec_0007_2  第二次世界大戦後に、GHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとしたとき、不審な事故が相次いだため、結局、造成計画を取り止めた。また隣接するビルディングも塚を見下ろすことのないよう、窓は設けられていない。

Img_4329_1Img_4327 御朱印を頂こうと思い、社務所に寄って、ついでにお守りなども見てみたのだが、この神社の御朱印帳、お稲荷さんの柄がとっても可愛い!・・・で、ついつい御朱印帳も買い求めてしまった。

Nec_0009_2  御守りの中で印象的だった物は「旅行安全守」。羽田空港の近くなので飛行機を良く利用する人には特別ご加護が有りそうだ。因みに、「御朱印帳」も「旅行安全守」も、穴守稲荷のWebサイトでも販売しているようだから、欲しくても直接戴きに行けない人は、注文してみてはどうだろう。

            

Nec_0010_5   旅行安全守のお勧めはブルーの 方かな・・・?

 

June 10, 2007

鳥越まつり

Img_3767  今日は鳥越神社の例大祭だった。

 朝から次男と二人でJRで出かけ、浅草橋で下りて、徒歩で鳥越神社に向かった。

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 神社に行く途中、子供たちが引っ張る大きな太鼓に暫く付いて行った。お祭りの始まりを知らせる合図のような感じで、太鼓をたたきながら町会を回っていた。

 その太鼓の列の町会の長老の人に「引っ張ったらお菓子が貰えるよ~。一緒に引っ張ったら?」と言われ、次男も飛び入りで参加させてもらった。

Img_3724  朝早く行ったので、まだ担ぎ始めていない神輿も有った。神輿の見張り番をしているのは何と鳶の「ほ」組みのお兄さんたちだった。

 町家が多かった浅草の町を担当した「町火消」は、8番組「ほ組」10番組「と組」「を組」。「を組」には、江戸から明治にかけて名を馳せた町火消 10番組組頭「新門辰五郎」がおり、現在でも浅草寺内の鳶の頭として受け継がれているようだ。 

 Img_3732  
  鳥越神社の御本社神輿は、千貫神輿といわれ東京一の重さが有ると言われているらしい。

 確か、富岡八幡宮の一の宮神輿も、日本一ってふれこみじゃなかったっけ?あっちは大きさが日本一って事なのかな?

Img_3752  各町会毎に神輿を出しており、どれが千貫神輿か分からなかったが、沢山の神輿が練り歩く様は圧巻だった。

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鳥越神社の境内では笛や太鼓でお囃子の演奏が行われていた。

Img_3766_4 Img_3762_2  神社にお参りをして、写真を撮っていたら、やがて神輿が一つ宮入りするのを見る事が出来た。なかなかの迫力だ。

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  それにしても、何と言う神輿の数だ。一体全部で何騎出ているのだろう。

 東京の下町にはまだまだ江戸時代からの文化が受け継がれている所が有るのだと、実感した一日だった。

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May 28, 2007

下谷神社

 今日は仕事の後、久しぶりに(笑)神社に行って来た。

Nec_0001_1  英会話の時間までかなり間が有ったので、国立博物館によってダ・ヴィンチ展でも見て来ようと思い上野に行ったのだが、今日は月曜日で上野公園内の美術館や博物館はお休みだった。(泣)

 ダ・ヴィンチの受胎告知は「ウフィッツィー美術館」で見た事があるので、あまりそそられなかったのだが、パスポートで特別展も年間6回まで見ることが出来るので、暇つぶしも兼ねて行ってみようかと思ったのだ。

Nec_0002  仕方が無いので公園内の売店でソフトクリームを食べてから、座って英語の予習をしていたのだが、今日は結構風が冷たくって(昨日に比べると10度ぐらい気温が下がった感じだった)長時間外に座っているのが辛くなってきた。

 丁度、台東区が運営している観光用の循環バス「めぐりん」が停まっていたので、バスに乗ってみる事にした。

 循環バスは北めぐりん・南めぐりん・東西めぐりんの3路線が有る様だが、今日私が乗ったのは「東西めぐりん」でコースは以下の通り。

台東区役所
上野駅入谷口
東京国立博物館
東京芸術大学
谷中清水町公園
旧吉田屋酒店
谷中霊園入口
三崎坂上
特養ホーム谷中入口
千駄木駅
谷中小学校
三崎坂上
谷中霊園入口
旧吉田屋酒店
池之端四丁目
鷗外旧居跡
不忍池
京成上野駅
上野公園
上野学園
北上野二丁目
松が谷
テプコ浅草館前
つくばエクスプレス浅草駅
雷門通り
浅草駅
雷門前
都営浅草駅
浅草消防署
南部区民事務所
新御徒町駅
永寿総合病院東

Nec_0005  今日は100円払って上野公園から永寿総合病院東まで乗って、下谷神社に行ってみた。

 この神社の拝殿は横山大観が描いた天井画の雲竜図(174cm×296cm)が有る事で有名である。この雲竜図、なかなか貫禄が有る絵である。不忍池のすぐ近くには大観記念館も有るから、横山大観はこの辺りと縁が深い人なのだろう。

Nec_0011_4  また、ここは寄席の発祥の地のようで、子規の句碑の横に「寄席発祥の地」の碑が建てられていた。

 上野公園の野球場は正岡子規記念球場という愛称を持っているし、子規もこの辺りにはよく来ていたのだろうか・・・。

 因みに『下谷』の名称は、上野や湯島といった高台の下の谷間だった事に由来しているらしい。

Nec_0004_2  下谷神社は、上野駅から見ると、上野公園の反対側に位置する。上野駅から徒歩圏内に有る都会の神社で(帰りは上野駅まで歩いて行った)、敷地はあまり広くないが、境内には舞殿が有った。都会のど真ん中にも拘らず、里神楽が受け継がれているらしく、例祭などで舞われるようだ。

 台東区には見所が沢山有りそうだし、次回は一日パス(300円)を買ってぐるぐる回ってみるかな・・・。

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