富岡八幡宮例大祭
今日は3年に1度の富岡八幡宮の本祭りの最終日。54基の大神輿の連合渡御が行われた。
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昨日 まで猛暑だったので行きそびれていたのだが、今日は雨で比較的涼しくなった。雨だから人でも多少減っているのではと見込んで、次男と二人で『江戸っ子魂』のバックプリント付きTシャツを着込んで出かけた。(笑)母親とペアルックしてくれるのも多分今年が最後だろう。
深川は、家康が江戸に入った時は一面の葦の原だったようだ。そに、摂津の国から深川八郎右衛門が一族を率いて移ってきた。
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家康がこの地を訪れたときに八郎右衛門に地名を尋ねたところ、「住み人も少なく、地名もございません」と答えた。それで家康は「以後、深川とするように」と言い、それ以降、八郎右衛門家は名主を務めるようにようになったと伝えられている。
葦の原だった深川は、明暦の大火(1657)の焼け土を運んだり、江戸中のごみ芥で埋め立てられたようだ。かつて深川の東方の海に面した地域は洲崎といい、湿地をごみなどで埋め立てて新田開発が行われ、十万坪と呼ばれた。現在の江東区扇橋・石島・千田・海辺・千石あたりのようだ。
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深川八幡には幕府御用達の材木問屋で豪商の紀伊国屋文左衛門が寄進した純金張りの神輿が三基有ったが、:関東大震災で消失してしまったようだ。
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その後、平成3年に日本―の黄金大神輿が奉納され宮神輿が復活したが、その大きさゆえに毎年担ぐことがかなわない為、新たに宮神輿を製作し、二の宮として平成9年の例大祭で渡御したようだ。
新しい黄金大神輿は、法王の目にダイヤが嵌め込まれていて屋根は純金で葺かれているようだから、文左衛門が奉納した神輿に負けない位豪華なのに違いない。
富岡八幡宮のお祭りは深川八幡祭りとも呼ばれ、日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭と共に、江戸三大祭の一つに数えられている。
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江戸時代、深川には大半が永代橋を渡って来たようだが、文化4年(1807)のお祭りの時には、人の重みで橋が崩れて大勢の人が亡くなったようだ。
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深川八幡のお祭りは「水掛け祭り」とも言われるようで、沿道から大量の水が神輿と担ぎ手に掛けられていた。今日のように雨模様で肌寒い日は、担ぎ手はびしょ濡れで寒かったのではと思われた。



























































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